「旦那はいない、子供はいない、カレシはいない、おまけに母ちゃんはボケちゃうし猫はDV」

インパクトのあるこの一文は、作家・山口恵以子(やまぐち・えいこ)さんの初エッセイ集『おばちゃん街道 小説は夫、お酒はカレシ』(清流出版)に綴られているもの。山口さんは、派遣の宝飾販売員や“食堂のおばちゃん”として働きながら、ドラマのプロットライターとして活動、2007年に49歳で作家デビューを果たすという異色の経歴の持ち主。2013年には、長編小説『月下上海』(文藝春秋)で第20回松本清張賞を受賞し、最近ではワイドショーのコメンテーターとしても活躍している。

『おばちゃん街道』では、「お見合い43連敗」「大酒飲みでへべれけになり、交番のお世話になった」といった失敗談をあっけらかんと披露している山口さん。周囲からは「人生、崖っぷちじゃん!」と笑われながらも、「小説家になるという夢が叶った今が幸せ」だという。著書そのままにあっけらかんと人生を歩み続ける山口さんの人生論・幸福論とは?

『おばちゃん街道 小説は夫、お酒はカレシ』(清流出版)

『おばちゃん街道 小説は夫、お酒はカレシ』(清流出版)

夢に「一本の糸」があれば挫折はない

――山口さんは少女の頃、漫画家を志していたそうですね。そこから数えると、苦節35年で松本清張賞を受賞されました。なぜ、夢を諦めずにここまで来られたのですか?

山口恵以子さん(以下、山口):ずっと自分の中にあったのが「物語をつくりたい」という思いだったんです。自分でも途中で気づいたんですけど、「漫画家の道で挫折して、脚本家を目指したけどうまくいかなくて、小説家に……」というわけではないんですよ。物語をつくるという一本の糸をずっと手繰り寄せ続けて、ついに松本清張賞をいただいたという感じですね。

たとえば、「弁護士になりたい」と考えている人は司法試験に落ちてしまったら目標を失うけれど、「法律の知識で人の役に立ちたい」という目的なら行政書士やNPOのボランティアなど、別の形を探せますよね。私の場合は「物語をつくる」という目的があったので、その手段として「漫画家」「脚本家」「小説家」を次々に試していったという感じです。

“腰かけ”の意識で働いていた頃

――会社員や派遣社員として働いていた時期もあったようですね。松本清張賞を受賞された頃は“食堂のおばちゃん”として社員食堂に勤務されていたそうですが。

山口:宝飾店の派遣店員をやっていた頃の意識は、完全に“腰かけ”でした。「漫画か脚本で食えるようになったら、いつでも辞めてやるさ」って思ってたんです。でも、“食堂のおばちゃん”の頃はちょっと違いました。働き続けるうちに、自分の性に合っている気がしてきて、だんだん職場が好きになったんですよ。

――なぜ、“食堂のおばちゃん”になったのですか?

山口:新聞の求人広告欄でたまたま見つけたんです。「午前6時から11時までの5時間勤務で、時給1500円、土日祝休み、有休・賞与あり」という条件でした。この勤務時間なら制作プロダクションの企画会議にも全部参加できるし、おいしい話だな、と。応募してみたら、運よく採用してもらえて。

キャラ設定も“武器”にする

「社員食堂での経験も小説家としていつか役に立つかも」と考えていたわけではなかったんですけど、「松本清張賞の最終候補に残りました」と電話をもらったときは、「これはウリになるな」と確信しました。「食堂のおばちゃんが作家に」なんてマスコミの格好のネタじゃないですか。苦節35年ですから、そういう“打算”もできるようになったんですね。

――“小説を書く食堂のおばちゃん”というキャラクター設定に抵抗感はなかったのでしょうか?

山口:むしろありがたかったです。小説がどんどん売れなくなってる今の時代、新人作家が見切りをつけられるサイクルも早まっています。受賞したときに”執行猶予1年”だと思いました。来年の今頃には新しい受賞者が出るから、それまでに今よりも一段上がっていなければ、作家として生きてはいけないだろうと。

「自分以外の理由」で諦めると後悔する

――エッセイを読むと、山口さんが夢を諦めずにこられたのには、お母様の影響があったようですね。

山口:母は若い頃にオペラ歌手になるという夢を諦めたんです。その母に、私が出版社の編集部に漫画の原稿を持ち込んだ話をしたことがありました。編集者から「絵がヘタだからやめたほうがいい」と言われて悔しかった、と。

すると母は「あなた自身が『自分には才能がない』と感じて諦めるならいいけど、『もう歳だから』『誰々さんが結婚したから』と自分以外の理由で諦めると、のちのち後悔することになるわよ」って言ったんです。今でも印象に残っている言葉です。

人間関係は「縁」で始まり、「相性」で続くもの

――お母様の存在は大きかったのですね。母と娘は距離感が難しいこともあるように思いますが。

山口:私、完全にマザコンでしたから。母の言うことは絶対……とまではいかなくても、一理あるとずっと思っていました。人間関係はご縁で始まり、相性で続くもの。私の場合、母との相性がすごくよかったんですね。

ただ、あまりにも相性がよすぎて、母以外に強い人間関係を求める気持ちが弱かったんです。だから親友と呼べるような友人もいないし、「お見合い43連敗」っていうのも、母が心のどこかで私を結婚させたくないと思っていたせいじゃないかと。私自身も「会ったばかりのヘンなおじさんと結婚するくらいなら、ママとふたりで楽しいおばあさんになればいいじゃん」と思ってましたし……大失敗ですよ。

「結婚しない」から「結婚できない」に変わったとき

――そのお母様が要介護になられて、関係は変わりましたか?

山口:70歳くらいまで母は歳よりも若くて元気だったのに、父が亡くなって3年ほどでボケはじめてしまって。母を支えられるのは私だけなので、そこで初めて「あぁ、これで一生結婚できないな」って気づきました。それまでは、「私は結婚できないんじゃない、結婚しないだけ」と思っていたんです。

もう私を守ってくれる人はいなくなってしまった。これからは私が自分の手でしっかりと母を守っていかなきゃいけないんだ、と。意識が180度変わりましたね。

人生には「階段の踊り場」が必ずある

――その現実に直面したとき、落ち込みましたか?

山口:やっぱりすごく不安でしたし、悲しくて、みじめでもありました。でも、階段の踊り場のように、転がり落ちてもどこかで止まるんですよ。ちょうど社員食堂に就職したばかりで、介護に仕事にいっぱいいっぱいでヒステリーを起こすこともありました。でも、ボケた母は私がいくら怒りをぶつけたところでポカンとしたまま暖簾(のれん)に腕押しなんですよね。

そんなことを繰り返しているうちに、私も母も新しい環境に慣れてきて、母のボケも変化が穏やかになってきて。おたがいにタイミングが合ったのか、「現状を受け入れるしかない」と覚悟が決まりました。母は要介護2認定ですが、幸い、自分でトイレに行ったり、おにぎりを作って食べたりもできるので、まだ助かっているほうですね。

(大矢幸世/編集協力:プレスラボ)

山口恵以子(やまぐち・えいこ)
1958年、東京都江戸川区生まれ。早稲田大学文学部卒業。会社員、派遣社員の傍ら、松竹シナリオ研究所で学び、プロットライターとして活動。その後、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務しながら、小説の執筆に取り組む。2007年『邪剣始末』(廣済堂文庫)で作家デビュー。2013年『月下上海』(文藝春秋)で第20回松本清張賞を受賞。著書に『あしたの朝子』(実業之日本社)『食堂のおばちゃん』(角川春樹事務所)『早春賦』(幻冬舎)など。