小説家・黒澤はゆま連載

女が馬に乗れない時代に、男装して男所帯に潜り込む…本当にあった女性騎手の物語

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女が馬に乗れない時代に、男装して男所帯に潜り込む…本当にあった女性騎手の物語
黒澤はゆまの歴史上の女性に学ぶシリーズ、第七話は女性騎手たちです。「風紀上問題がある」という理由から女性が馬に乗ることは禁止されてきました。その差別と偏見の中で「思いっきり駆け抜けた」女性を追います。(編集部)

「女の子らしく」って、何?

昨年2015年、ある映像がネットで話題になりました。家庭用洗剤でおなじみのP&Gが「女の子らしいって?」をテーマに作ったCMです。

女の子らしく走って。
女の子らしく投げて。
女の子らしく戦って。

CMではまずそんな質問を大人たちに投げかけます。彼らは、へらへら笑い、無意味に関節をくねくねさせながら、ほとんど馬鹿にしているようなやり方で、女の子らしくを表現しました。

しかし、当のまだ幼い10歳くらいの女の子たちに同じ質問を投げかけると、彼女たちは皆キリッとした顔をして、精一杯走り、投げ、パンチしました。インタビュアーが、走り終わった少女に「女の子らしく走るってどういうこと?」と聞くと、彼女は見事な答えを返しました。

「思いっ切り走ること!」

思い切り走ることから遠ざけられてきた女の子たち

どうして女の子たちは思い切り走ることから遠ざけられてきたのでしょうか?

それは速度はイコール力であり、権威や威厳の源であったからかもしれません。今でも、飛行機や車の運転手として思い浮かぶのはまず男です。そして、神話では最初に女性、アマゾーンが騎乗したとされているにも関わらず、競馬の世界からも女性は近年まで排除されてきました。

筋力が足りないとか、様々な言い訳が並べ立てられてきましたが、すべてでたらめです。今年デビューした藤田菜七子騎手ははやくも3月24日浦和競馬場で2勝をあげています。アメリカのジュリー・クローンは生涯で3704勝をあげ、アメリカ競馬殿堂入りを果たしました。今や多くの国でたくさんの女性騎手が男とまったく対等に戦っています。

女が馬に乗るのは風紀を乱すこと?

しかし、ここに至る道は大変けわしいものでした。

アマゾーンから追い掛け回されたトラウマでしょうか、女性が競馬の世界に進出しようとすると、男たちは決まって金切り声をあげて拒絶反応を示してきたからです。

1969年、アメリカでは、ペニー・アン・アーリーが、初めて騎手ライセンスを取得しデビューしましたが、男性騎手がそろってボイコット。一度もレースに出ないまま、引退を余儀なくされました。

日本でも、斉藤澄子が戦前の1936年、京都競馬倶楽部の試験に合格、世界初の女性騎手となるのですが、すぐ帝国競馬協会から「風紀上問題がある」との理由で出場を禁止され、こちらも一度も出走しないまま引退に追い込まれています。

失意のまま厩務員となった彼女は、騎手になるため、さらしを巻き、男を真似て煙草を吸うなどした無理がたたって肺病を病み、29歳の若さで死亡しました。男達の愚行はやりきれないものがありますが、ペニーと澄子をはじめとする、女性騎手達の偉業については、もっとたくさんの人に知られるべきかと思います。

なかでも、これからご紹介するオーストラリア初の女性騎手、ウィルヘルミーナ・スミスの物語は衝撃と驚きに満ち、勇気づけられるものになっているようです。

ミステリアスでハンサムな騎手

澄子が戦死するように倒れた1940年代のオーストラリア、ケアンズの競馬場にビル・スミスというハンサムな騎手がいました。彼は格式の高いクラシック・ビクトリアン・オークスでも勝利をおさめ、優秀な騎手として有名でした。

ただ、風変りなところがあって、絶対に騎手仲間のまえで着替えようとはせず、シャワールームも決して使おうとはしませんでした。とてもシャイで、同僚と打ち解けることもなく、いつも一人ぼっち。やわらかい話し方もあって、関係者たちはビルのことを、女の子っぽいという意味のガーリーをつけて、

「ビル・ガーリー・スミス」

とあだ名しました。

結婚もせず、子供もいなかったビルは、レースを引退したあとは、ケアンズ郊外のドヤ街に隠棲し、ビール醸造所で働きました。ここでも友達はなく、孤独な老後を過ごした後、1975年、病に倒れます。

女として生まれ、「がっかりされた」ビル

そして、かつぎこまれた先の病院で、衝撃的な事実が分かります。

ビル・スミスは女性だったのです!

彼女が看護師の女性に語ったところによれば、ビルことウィルヘルミーナ・スミスは1886年、西オーストラリア州で生まれました。両親はイギリスからの移民で、母親は彼女を生んでまもなく亡くなったそうです。

父親は牧童だったようで、彼女は干し草の匂いに包まれながら、牛や馬、盛んに働く父親の様子を見て育ちました。この光景が彼女の一生を貫く原風景となりました。

ウィルヘルミーナは父親を愛していましたが、父親は独り手で子供を育てることに疲れ果て、まだ幼児だった彼女を孤児院に預けました。それでもいつか迎えに来てくれると信じていたのですが、父親はイギリスに一人で帰ってしまい、だいぶ後にそのことを知ったときは「とてもがっかりした」そうです。

孤児院での生活は過酷で、16歳のときついに耐えられなくなったウィルヘルミーナは、仲間を誘って脱走します。

そして、アデレードに着くと彼女は仕事を得るため男装をはじめます。ここで彼女は、アデレードとケアンズの往復便の水夫の仕事を見つけました。しかし、荒っぽい海の世界にそのうちうんざりしたようで、ある日ケアンズに船が着くと、そのまま飛び出してしまいました。そして、安住の地として、最後に見つけたのが、自分の原点でもある馬の世界だったのです。

男装の騎手、ウィルヘルミーナの生涯

男といつわることで、当時女性には開放されていなかった競馬場にもぐりこんだ、ウィルヘルミーナですが、正体を隠し続けるのは大変なことでした。

彼女の死後、真相を知った、元同僚のジョー・マクナマラは、ビルと一緒に出走したあるレースでの出来事を思い出しました。

競技中、二人一緒に落馬したジョーは、負傷して息も苦しそうなビルを楽にしてやるため、服に手をかけます。しかし、ビルはその手をはらいのけ叫びました。

「ノー!やめて!大丈夫だから」

30年近くも後になって、ジョーはビルがそう言った理由を知ったのでした。

また、関係者のなかには、ビルの正体を感づいているものもいたようです。

厩務員の二人の少年が、シャワーを珍しく使っているビルをのぞこうとしたエピソードが残っています。しかし、ビルの方がたくらみに気付いてクソガキどもをさんざんに叩きのめしました。少年が後に語ったところによれば彼らは「死にそうな目」にあったようです。

他にも、騎手仲間が申し合わせのすえ、ビルを控室に閉じ込め、皆で服をひんむこうとしたこともありました。この時は居合わせた給仕が別の騎手に助けを求め事なきを得ています。

これほど危険な目にあいながらも、彼女が男装し競馬の世界に居続けようとしたのは、馬のことが好きで好きでたまらなかったからでした。日本の澄子がそう言われたように、彼女もまた「まるで馬と話が出来るみたい」だったのです。

彼女の表情は、このはかり知れない知恵とやさしさを持つ動物に語りかけるとき、ことの他やわらかくなりました。引退後も、勤め先のビール醸造所に愛馬に乗って通い、その姿は街の評判になっています。

夫も子もなく、ずっと一人ぼっちだったウィルヘルミーナ・スミス。

しかし、彼女は幸せだったようです。

88歳で亡くなる直前、最後の時を過ごした病院で看護師が描いた肖像画が残っています。

青い草原を背景に、白髪を短くかりつめた彼女は、衰えぬ美貌を輝かせながら、見るもの皆をうっとりさせる微笑みを浮かべています。その表情には、力の限り戦い、何事かを成し遂げた者のみが得ることの出来る、自信と満足で満ちています。

愚かな男たちがガーリーとあだ名した通り、彼女は自分の人生を女の子らしく「思いっ切り走り抜けた」のでした。

参考文献:『伝説の名ジョッキー』(島田明宏著、ゴマブックス株式会社)『THE STORY OF WILHEMENA “BILL” SMITH, AUSTRALIA’S FIRST WOMAN JOCKEY』(フィルパーサー著、http://www.justracing.com.au)『Wilhelmina ‘Bill’ Smith』(AWHF著、http://womenshistory.net.au/2005/02/27/wilhelmina-bill-smith/)『Story behind Australia’s first female jockey』(Dan Elsom著、http://www.news.com.au/)

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【第6話】男を犯して仲間を増やす 女性優位社会で活躍した、女部族アマゾーンの足跡

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