宮台真司氏×二村ヒトシ氏『男女素敵化』対談レポート(後編)

相手と融合するような、魅惑の行為は存在する 性の深さを享受するたったひとつの方法とは

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相手と融合するような、魅惑の行為は存在する 性の深さを享受するたったひとつの方法とは

「『絶望の時代』の希望の恋愛学」(KADOKAWA)の著者で社会学者の宮台真司氏と、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(イースト・プレス)の著者でAV監督の二村ヒトシ氏による対談「希望の恋愛学を語る」の後編。前編では、本来人間が当たり前に営んでいたはずの深くて神秘的な性が、社会制度に押し込められてきた歴史を解説。後編では、本来の性を取り戻すために、私たちはどうすべきなのかが語られました。

【前編はこちら】「女性の解放された性欲を、男性が受けとめるのは美しい」宮台真司×二村ヒトシが語る、本来の性の姿

解放された性の姿を思い出すにはどうしたらよいのか

宮台真司(以下、宮台):このように僕たちは性を社会の中に押し込めて、自己実現ツールにしようとしてきたわけですが、もともと僕たちの性がそうした性質ではない以上、それを思い出さなければ性のポテンシャルや深さ、めまいはもうみなさんを襲うことはないんですよね。

本来の性のあり方を諦めるのでもなく、それを追及することで社会不適合者になるのでもなく、本来の性を享受することはできるのかというのは非常に難しい問題です。しかし、二村さんは「そこには第三の道がある」とおっしゃっていますよね。

二村ヒトシ(以下、二村):はい、そのヒントとなる話はできると思います。前出のジャック・ラカンの哲学によれば、すべての人間は「神経症者・精神病者・倒錯者」の3つに分けることができるそうです。それをAV監督・男優としての僕は、以下のように解釈しました。神経症者とは「毎朝、満員電車に乗って出勤しなさい」と命じられて従っている人です。つまり社会のルール(ラカンの言う「概念原語」)にただ添うしかない真面目な人たちというのは、全員が一種の神経症に罹っているということです。次に、精神病者。この人たちは電車のなかで大声で一人ごとを言ったり、朝の満員電車に全裸で乗ってきてマスターベーションを始めてしまう人。

宮台:つまり「社会のおかしさに気付いていて、そのルールを守ることができない人」ですね。

二村:というか「別のルール」「別の概念原語」を生きているわけですよね。ところが、そういう人はどこかへ連れていかれてしまいます。よほど才能があって魅力的な精神病者でないかぎり、神経症的社会にとって迷惑な存在であるから排除されるわけです。ちなみに電車のなかで小声で一人ごとを言っている人は、神経症であることが体の外に漏れ始め、精神病との境界にいるということでしょう。そして最後に倒錯者。これは密室で、同好の人たちの前でだけ全裸になって、こっそりと変態的なマスターベーションを開陳し、翌朝はまた満員電車に乗れる人です。それを望まない人に迷惑をかけなければどんな変態であってもいいのですが、精神病者のように常態として狂ってしまうのではなく、社会のルールを知ったうえで、その裏をかいて本来の欲求を満たすことができる人たちなんです。

宮台:社会から見えないようにマニアの共同体をつくる一方で、社会では一般人として生きていくということですね。

二村:「使い分ける」ということでもありますが、引き裂かれて混乱したり罪悪感を負ったりしないのが倒錯者としての矜持でしょうね。そして本来の性を謳歌する第三の道のヒントは、倒錯のポジションにあるのではないかと思うのです。

宮台:倒錯者的な性質を持つ人同士はめちゃくちゃ淫乱になり、本来の性を営むことができる。だから、そういう人を探せということですね。逆に普段から自分はヤリマンだとかナンパ師だとか、そんな風に社会のなかで性を語っているだけの人は、神経症者として社会規範のなかに生きているだけであって、全然エロくないわけです。

むしろ同類と会った時にノンバーバルでとんでもなく淫乱なセックスをする人が、いわゆる倒錯者であり、本来の性を謳歌したいのならばそういう人を探さなくてはいけません。

二村:だから皆さんに伝えたいのは「こっそり変態になってみてください」ということですね。いやらしくて激しい性が社会の外にはあり、それを生きて人間らしさを回復した後に安全な社会に戻ってくることは知恵を使えばできるよ、男女を問わず、というより女性こそ、そういう生活を楽しもうよということを提言していきたいんです。

宮台:社会はつい最近始まったばかりのかりそめのゲームであり、僕たちの本能や身体はそこには収まらないところにある。だからそれを尊重したうえで、社会に適応するな、適応したふりだけで生きろ。本来の姿を見せるのは、アンダーグラウンドなマニアのコミュニティだけにしろ、とそういうことになりますね。

僕は先ほど女性のほうが本来の性にたどり着くポテンシャルを持ちやすいという話をしましたが、最近では女性の多くも男性にひきずられて男性化しているように感じています。つまり社会のなかでポジションをとることが幸せだと感じる人が増えてきているということです。

社会のなかでポジションをとるチャンスが増えれば増えるほど、その外側に向かおうとする気持ちは失われますよね。その意味で、社会がだんだんとよい社会に向かっているがゆえに、女性が本来の性へのポテンシャルを失っている可能性があります。

個人的に言えば、そうした時代の流れを背景にしてポテンシャリティがあるにも関わらず、社会の中で恋愛や性を営むことで満足している女性を見ると口惜しいんです。だからそういう女性たちにこそ言いたい。大変だけどもう少し頑張ればしっかりとした相手、つまり同類の倒錯者を見つけることができる、と。その意欲を絶やさずに探し続けるということを女性に期待したいんです。

男性には、女性のありのままの性を受けとめるセックスをしてほしい

二村:もちろん人間には「まったくセックスをしない自由」もあります。セックスも恋愛もしたくないけれど、常識で考えたら性的とは呼べない行為に興奮するというのも、ひとつの立派な倒錯です。あらゆる倒錯者がこっそりと共存共栄できる世の中が望ましい。

そのうえで言うと、一般論として男性は女性より、本来の性に到達できるポテンシャルが低いです。だからこそ男は、解放されたとんでもなくエロい女性と受け身のセックスをして、自分でコントロール可能な射精などという貧しい段階ではない、強烈なオーガズムに堕ちるべきなんですよ。

宮台:僕も二村さんのおっしゃることに全面的に賛成です。世の中において性的強者ともいえるAV男優でさえ解放された女性から性を享受するようなセクシュアリティに到達できていないわけです。あまたいるAV男優のなかでさすがの加藤鷹と、あと若干名だけです、その領域に到達しているのは。

じゃあどうして男の多くがそうしたセクシュアリティに達成できないのか。それは、その本来の性を体験するチャンスどころか、そうした性が実在しているという確信すらもてないからなんですね。

僕はその性の領域に至ったことがあるひとりの女性から話を聞いたことがあります。彼女によれば、その性の体験は「アメーバになったようだ」そうです。自分の実体がなくて、まさにひっぱられたりもまれたりして、男女がひとつのアメーバになる。そんな性的経験なんですね。

二村:まさに、とろけるということですね。

宮台:そういうことがありえるんだということをまずは知ってほしいですよね。

二村:だから男もとろけようという話ですよ。相手をコントロールしようとするのではなく、女性のありのままの性を受けとめるセックスをしてほしい。潮を噴かせる努力とか本当に無意味ですからね。技術やペニスを駆使して女にモテたような気になることは全くナンセンスです。こちらが「女をいかせるぞ」と必死になっていては女は絶対いかないというのは、代々木監督もおっしゃっています。

だから僕は女が強いセックスというものをAVで描き続けたいと思っているんです。そういうセックスをヒントにして自分の中に可能性を見つけてほしい。「男性だから、女性だからこういうセックスをしなくてはならない」という意識の外に性があり、オーガズムがある。

本来の性を見失った私たちが、その存在を再び信じるために

イベントの最後には、参加者からの質疑応答で盛り上がりました。

参加者: AV男優の森林原人です。代々木忠監督の作品にも出演させてもらっています。代々木さんはセックスの満足を「気持ちよさ」ではなく、「幸せになれたかどうか」という基準ではかりますが、その「幸せな」境地に至るためには代々木さんはまず実際に体験しなくてはいけないといいます。しかし、そうすると機会に恵まれない人はずっと幸せなセックスというものを知れないと思うんですよ。どうにかして、そうした幸せなセックスの存在を示すことはできないんでしょうか。

宮台:できないことはないですね。まずは代々木監督のAVを見るということが重要だと思います。するとそんなふうになっている女性がいるのだ、アメーバ状の融合があるのだということを知ることができます。それをみて自分もそうなりたいと思うはずです。願望水準が高くないと、それを達成しようと意欲も少なくなりますから。

二村:森林君も僕もわかりすぎているくらいわかっていることで、僕らの責任でもあるんだけど、最近のAVってユーザビリティが高すぎるんです。視聴者がオナニーしやすいように、男優の性器だけをうつしたり、女優はカメラ目線だったり、あたかも視聴者自身がセックスしているような感覚が得られる演出が多用されている。だから見ている人は、これさえあればいいやと思ってしまう。

しかしこれは逆説的に「ポルノが、現実のセックスへの夢や想像力を奪っている」ということでもある。だからポルノでも、なるべく客観的なポルノで「他人が幸せそうなセックスをしている姿」を見る機会を増やして、うらやましがってほしい。そして脳内のミラーニューロンを鍛えて欲しい。それが幸せなセックスに至る第一歩だと思います。

宮台:あとは少女漫画も重要なツールだと思いますよ。僕や二村さんは、少女漫画フェチでもあるわけですがそれを読むことによって「本当の恋愛っていうのはこういうものなのかしら?」っていう強い思い込みがありました。

つまりメディアを通じて幼いころから性に対してとても高い願望を持つわけです。しかし、大きくなって現実に乗り出すと、「あれ、こんなもんなのか」というギャップが生まれる。でもこのギャップが重要なんです。なぜならその願望を満たすような現実を探すモチベーションにつながるからです。だからこそメディアを通じて本当の願望を手に入れてほしいと思いますね。

参加者:メディアによって願望水準を高めることも大切ですが、僕は本来の性を知るためにはやはり「身体性」というものも重要だと感じています。

僕は太極拳をやるようになってから、自分の体がどこにあるのかわからなかった状態から、体の実感を取り戻すようになってきたんです。すると自分の性的な欲望がよく分かるようになってきました。

今まで自分は性欲がないと思っていたのですが、それはネットにあるようなコンテンツで満足していたということであって、身体性が希薄になっていたんだということに気付いたんです。

このように身体という根本のところから欲望を感じることがあまりにも希薄になっているがゆえに、人は本来の性にたどり着くことが出来なくなっていると言えるのではないでしょうか。

二村:まったくその通りだと思います。よいセックスをするためには普段から体を動かし慣れていることは大切で、激しいスポーツが苦手な人でも、ヨガや太極拳がある。結局オーガズムとは自分や相手の内臓を意識して、筋肉の痙攣で感じるものなんです。それは男性でもそうです。性の問題は精神的な要素も大きいですが、同時に「自分の身体を知る」という肉体的なアプローチも非常に重要です。

小野美由紀さんという若い作家が「サーフィンをやるとセックスが分かるようになる」と書いていました。海とは、つねに不測の事態がおきる場所であり、それに対して柔軟に自分の体を合わせていく。そのことがセックスの本質に通じているということのようです。

宮台:それはよくわかります。安全なサーフィンをやろうと思っているとトランス状態に入れない。格闘技も同じで安全な組手はトランスを生まない。分かりやすくいうと、危険とトランスは表裏一体なんですよ。常識と非常識でいうと、非常識とトランスが表裏一体。それを身体感覚としてとらえることが、本来の性に至るためには重要かもしれませんね。

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二村ヒトシ(にむら・ひとし)
1964年東京生まれ。慶應大学中退。アダルトビデオ監督。著書に『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(共にイースト・プレス)、『淑女のはらわた』(洋泉社)、共著に『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)がある。監督作品に『美しい痴女の接吻とセックス』『ふたなりレズビアン』『マブダチとレズれ! 』『女装美少年』他多数。ソフト・オン・デマンド若手監督エロ教育顧問も務める。

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