「このお金は、私がホントにいろんなことを諦めた末に渡しとるっちゃけんね!」

これは、『実家からニートの弟を引き取りました。』(KADOKAWA)のなかで、25歳の漫画家・沼津マリーさんが、ニートの弟に「コミケに行くから、5万円貸してほしい」と言われ、なけなしのお金を貸したときに発した言葉だ。

沼津さんは21歳にしてインドでのキャバクラ経営を任されるという異例の経歴の持主で、帰国後、その経験を描いた漫画でデビュー。ワンルームアパートにひとりで暮らし、本来ならば自分の生活だけで精一杯のなか、実家から19歳のニートの弟・ポン太郎君を引き取り、自分の稼ぎで養い始める。カラッとした明るさが印象的で、冒頭のエピソードについても、悲壮感なくあっけらかんと話してくれた。

同書は、ポン太郎君を引き取るところから、ニートを卒業し、専門学生になるまでをポップに描いた漫画。なぜ、ポン太郎君はニートを卒業できたのか? 沼津さんは、どのように見守ってきたのか? 本には描き切れなかったエピソードを伺った。

『実家からニートの弟を引き取りました。』

『実家からニートの弟を引き取りました。』

ニートになりたてのときは、ちょっとした休暇だと考えていた

――25歳という若さでニートの弟を引き取るのは、相当な覚悟が必要だったのではないでしょうか。提案したのは沼津さんからですか?

沼津マリーさん(以下、沼津):はい。引き取った当時、ポン太郎は既に2年くらいニート生活をしていて、このまま実家にいても、もうどうにもならないぞと思いまして。母はポン太郎を予備校の寮に入れようとしたり、海外留学させようとしたりしたんですが、本人にその気がないので、なかなかうまくいきませんでした。また、ポン太郎は父とは喧嘩ばかりで、母はいっそ離婚してふたり暮らしをしようかとも考えていたようです。そこで、私の初めての親孝行として、また環境によって人間変わることもあるんじゃないかと、提案してみたんです。

実は、その前にも一緒に暮らそうと誘ったことはあったんですよ。ポン太郎が15歳で高校を中退したとき、私は21歳で、インドのキャバクラ経営を任されていたので、「インドに来たら?」と(笑)。ポン太郎が高校中退したばかりの頃は、「ちょっとした休暇だろう」くらいに考えていたので、2、3ヶ月インドで暮らして、価値観を変われば社会復帰するでしょ、みたいな。でも、そのときは断られちゃったんですけどね。

東京でのふたり暮らしを誘ったときは、微妙な反応

――インドは嫌だったんですね(笑)。東京で暮らそう、と誘ったときはどんな反応でしたか?

沼津:最初は母から伝えてもらったのですが、「うーん」と唸っていたみたいですね。ポン太郎は何かを決断するとき、いつも「あー」とか、「うー」とか、微妙な反応しかしないんです。母が「とりあえず行ってみたら?」と説得して一緒に暮らすことになりました。

まずはお試しでというつもりだったのですが、うちに来たら思いのほか居心地がよかったみたいで、いつまでいるつもりか聞いたら、「東京オリンピックまでかな」と乗り気になっていました。小さい頃から仲は良かったんですよ。身内が言うのもなんですが、ポン太郎は子どものころ、天使みたいにかわいくて。髪が細くて天パで、しょんべん小僧みたいだったんです。今はビジュアル的に全然かわいくないですけどね(笑)。

ダメな「現状」ではなく「変化」をしっかり見る

――それにしても、駆け出しの漫画家でありながら、人ひとりを養うことは、とても大変ですよね。きょうだいで一緒に暮らしていて不満は感じませんでしたか?

沼津:私は働くことが好きだから、「養っているのはヒモではなく身内だし、いいかな」という感じです(笑)。もちろん最初からうまくいっていたわけではなく、引っ越してきて1ヶ月ぐらいは、1日中ゲームばかりで、「何もしないなら家事ぐらいやってくれ!」と不満を抱くこともありました。でもそこでグチグチ言ったら、実家の二の舞になるだけ。だから、「こいつは働かないものなんだ」と認めるようにしていました。

ポン太郎にも後ろめたい気持ちはあって、でも、結局はゲームをしてしまう。だから、一度ポン太郎の今を全肯定して、本人が自分で動くまで、徹底して待つ姿勢を貫きました。家康スタイルで見守るうちに、ポン太郎もだんだん変わってきたんです。週に1度は漫画制作を手伝ってくれたり、買い物も頼めば行ってくれるようになったり。ダメな部分はいくらでも目につきますけど、それは私の不満だから、「変化」のほうに目を向けるようにしていました。

なぜニートになったのかは、本人もわからない

――そもそもポン太郎君は、なぜニートになったのでしょうか?

沼津:大きなきっかけがあったわけではないので、本人すらよくわかっていないと思います。ただ、客観的に振り返ると、なるべくしてなったのかなと感じるところはありますね。ポン太郎はプレッシャーに弱くて、高校受験の前に学校に行けなくなったり、テストのときも体調を崩したりしていました。

でも若いうちは、学校という枠組みに上手くハマれないとキツいですよね。交友関係に部活に勉強。とくに交友関係なんて世界が狭いからそこに迎合できないと毎日学校に行くのも憂鬱ですし。学生生活を楽しめるかは、結構才能だと思うんですよ。ポン太郎はその才能がなかったんだと思います。わたしも、学校が好きではなかったし、ポン太郎の気持ちが少しはわかるかな。

――ご両親はポン太郎君がなぜニートになったのか、追及されませんでしたか??

沼津:母親はわたしと同じで原因は探してもしょうがないよね、という意見でしたが、父親は違いました。父親は高校教師で、優秀な成績をおさめて一流大学、企業に進んでほしいという教育方針だから、ずっと原因を探りたがっていて、「高校受験で本命に落ちたことが原因ではないか」という結論に落ち着いていました。本命校に入るために努力を重ねていたというわけではないので、本当にそうかはわからないですけど、未だに「もうちょっと真面目に塾に行かせればよかった」と言ってますね。あとは最近も、私は三人きょうだいなのですが、ポン太郎だけ幼少期にピアノを習わせていなかったので、そのせいではないか、とか。「違うでしょ!」と思うんですけど(笑)、父なりに悩んでいるようです。

ニートも期待しなきゃ、働かない!

――ポン太郎君がニートを抜け出すことができた大きな理由は、なんだと思いますか?

沼津:親からもらった上京資金が底をついて、私からの借金などやはり金銭的に苦しくなったのがきっかけだと思います。漫画でも描いたのですが、ポン太郎から「コミケでほしいものがあるから、5万円貸して!」と懇願されたことがありました。そのときはちょうど、私が大好きな元モーニング娘。の道重さゆみさんの卒業と、Berryz工房の活動停止が決まったタイミング。卒業と活動停止まではイベントラッシュで、私もお金が必要な時期でした。「こいつさえいなければもっとお金が使えるのに!」そう思っていた矢先に頼まれたので余計にカチンときて、「マジ却下」とすぐに断ったんですよね。

でも、断った後に、「コミケでお金を使ったら首が回らなくなって、さすがに働く気になるかも」「いやいや、ニートをなめるな私……」と悩みまくって、最終的に「遠くのアイドルより近くのニートだ!」と、賭けに出る気分で貸すことに決めました。絶対に自分で働いたお金で返してほしくて、「このお金は、私がホントにいろんなことを諦めた末に渡しとるっちゃけんね!」と絶叫しました。

そしたら、翌日、ポン太郎がコンビニに行ったときに『タウンワーク』を手に戻ってきたんですよ! 幻かと思いました(笑)。その後、何度か面接を受けて、落ち続けていたので、ニートに拍車がかかるのではと心配しましたが、なんとかゲーム関係のバイトに受かり、2年10ヶ月でニートを卒業できました。大好きなゲームができる業務内容だし、ゲーム好きが多く働いているから、バイト先は水に合っているようでした。その後は母親がゲームの専門学校へ行くように提案すると、不思議と即決して、晴れて学生となりました。

脱・ニートには、兄弟よりも親の存在が不可欠

――家族にニートがいる場合、親元にいるよりも、沼津さんのようにきょうだいが引き取った方が解決すると思いますか?

沼津:具体的な解決策は家庭環境によると思いますが、基本は親ではないでしょうか。親がニートを養う場合、そこには愛情や責任感があると思いますが、きょうだいが同じような感情を持てるとは限らないし、きょうだいだからと言って見放してはいけないということでもないと思います。ただ、少しでも情が残っていて、何かしてあげたいと思ったら、実行すればいいのかなと。

あとは、ニートのタイプにもよりますよね。外で遊ぶけど働かないタイプ、完全に部屋から出ないタイプ、両親に対して暴力を振るうタイプなど、さまざまですよね。また、親やきょうだいなど身内ではどうすることもできないと思ったら、精神科の先生などプロに相談するのが一番いいと思います。

もうひとつ、私の場合は、ポン太郎との暮らしを漫画にして稼いでいるわけですけど、普通の会社員だとお金に変える手段がないですよね。そこは大きく違うところだと思うので、無理をして養わなくてもいいと思います。

ポン太郎君が学校卒業後は、ふたり暮らし解散予定

――ポン太郎君は、将来についてどう考えているんですか?

沼津:どうなんですかねえ、考えていればいいんですけど。変にプライドが高いから、「どこでもいいから就職!」という感じでもないし。とはいえ成人したら、自分でどうにかしなくちゃいけないですよね。父ももうすぐ定年なので、援助もできないでしょうし。

私も私で、もうそろそろ養うのはいいかなと思っているんですよね。21歳で専門学校を卒業したら、あとは自分でなんとかしなさい、と。そのとき私は27歳になっていますし、結婚も視野に入る年齢だから。ポン太郎にもそれは伝えているんですが、今は「へぇ」、「相手おるん?」という感じで。「バカにしとるやろうが!」と言い合ってます(笑)。

――家族にニートがいる人に対するメッセージをお願いいたします。

沼津:まずは自分の健康を優先してください。1つ問題をクリアすると、新たな問題がわんさか出てきて大変だと思いますが、お互い頑張りましょう! うちはたまたま、私との同居がうまくいったのですが、家庭環境によって方法はそれぞれ違うと思います。

ひとつ言えるのは、褒めてあげることが効果的です。うちの場合はマンガのアシスタントをしてもらったときに「これがいいね」とか、「ありがとう」と日常的に伝えていたら、期待に応えようと頑張ってくれました!

沼津マリー(ぬまづ・マリー)
1990年、福岡県生まれ。高校卒業後、ファッションデザイナーを目指して上京するも、色々あってキャバ嬢⇒インドでキャバクラ経営⇒不動産会社という異色の経歴を歩むことに。インドからの帰国後、その経験を元にwebモアイ(講談社)にて『インドでキャバクラ始めました(笑)』連載。1日10万PVの反響を集める。『Hanako』(マガジンハウス)では「沼津マリーの偏♡アイドル!」を連載するなど、アイドルオタクとしての一面も。

ポン太郎(ポンたろう)
1996年、福岡生まれ。沼津マリーの弟。15歳で高校を中退。2年以上も実家でニート生活を送り、その間、ネトゲ(ネットゲーム)廃人化。2年9ヶ月で脱・ニートに成功し、ゲームのアルバイト勤務を経て、現在はゲームの専門学生。

上浦未来

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