先生の白い嘘』(講談社『モーニング・ツー』にて連載中)作者の鳥海茜さんインタビュー後編。前編では、『先生の白い嘘』のストーリーや、男女の性の格差について聞きました。後編では、「男らしさ」「女らしさ」という言葉の正体や、自分主体で生きていくために必要な考えかたを聞きます。

【前編はこちら】身近な性被害を“男女平等”でごまかしたくない 『先生の白い嘘』作者・鳥飼茜が語る

既存の言葉に価値観が引っ張られる

――作品の中では男性からの目線や視点も多く描かれていますが、「もし自分が男性だったら」みたいな仮定はされますか?

鳥飼茜(以下、鳥飼):それはないですね。逆に女性目線っていうのもない。

――「自分目線」でしょうか。「男性だから」「女性だから」っていう一般論はもう抜きにしている?

鳥飼:「女の子」っていうものに対しての目線とどう向き合っているかみたいなところを考えて描いたキャラクターもいますよ。でも、実際生活している中で、「私は女だからこう思う」って自分でいちいち考えないじゃないですか?

――ただ「男はこう」「女はこう」って話題は特にインターネットでは盛り上がりますよね。「主語がデカイな……」って思うのですが。

鳥飼: 前編でもお話したように、男女の性差というものは絶対的に存在すると思います。でも、人間の価値観的な部分においては性できっぱりカテゴライズできるもんではないと私は考えます。

「男は若い女が好き」だとか、「女の愛は上書き保存」っていう言説1つとっても、本当に自分はそうか? としっかり考えてみるべきです。

すでに流布されている、既存の言葉に振り回されて、どんどん自分の価値観が侵されていく。それがすごく「男らしさ」とか「女らしさ」とか言われてるものの正体に似てるんじゃないかと思いますね。

「これが幸せ」というおとぎ話や幻想

――先に言葉とか概念があって、そこに人間が近づいちゃうことってありますよね。「ゆるふわ女子」みたいな言葉ができたことによって、そこに人が向かっていくとか。

鳥飼:そんなの本当に実は全員やってると思いますよ。無意識にこれまで得てきたストーリーを演じてしまう。

少女マンガみたいな恋愛を女の子はしようとしてしまうし、男の子だってAVで見たままのセックスをする。それは自分が本来的にやってることじゃないってことを気付いたほうがいいなって思います。

――情報に操作されているというか、それが自分の一部になっちゃったというか。

鳥飼:結局おおよそ「それが幸せである」って信じ込んでしまうことがたぶん問題だと思うんですよね。

何が自分にとっていい状態であるか、何が幸せであるかを頭で考える前に少女マンガ的な恋愛が成就すること、結婚してくれる王子様があらわれること、男性だとエロい女と付き合えることなんかが幸せだと思えば簡単じゃないですか。

そういうおとぎ話がたくさん用意されていて、そのうちどれかを選べばいいんだから。でも、それは自分のために作られた物語ではないから、今はみんなしんどくなっているんだと思います。ちゃんと自分の快不快で物事を判断しないといけないというのは、いつも考えていますね。

「失敗してもいい」って教えてくれたのは漫画

――ポリシーとして一貫しているものがあるんですね。鳥飼さんのパーソナリティは作品に反映されているんでしょうか。

鳥飼:性格というよりは、私も色々と失敗したので学んだんだと思います。幻想に寄り添った結果、痛い目にも遭ったし、なんか辛いな、このしんどさは何だろうなって紐解くと「自分の主観で考えてなかったんだな、他人の評価に任せたらこうなったな」ってことが多かった気がします。

『ハッピーマニア』の安野モヨコさんとか、岡崎京子さんもですけど、一見失敗に見えることを、本人はへとも思ってないような価値観を漫画で堂々と描いているじゃないですか。そういうことを私はいいなと思っていたし、もろ影響されてますね。やまだないとさんとか南Q太さんとか。

――鳥飼さんの『地獄のガールフレンド』が連載されているフィールヤングの作家さんばかりですね!

鳥飼:フィールヤングはやっぱり強いですね。もっと多感だった頃、これからどうやって生きていこうってときに、失敗してもいいし、結婚しなくてもいいし、何をよしとするかは自分が決める、女性が主観で自由に生きるってことをそれらの作家さんが描いてくれて、教えてくれたことは私にとっては命綱みたいものでした。そういう漫画をたくさん読んで、すごくよかったなって思うので、自分も読者にとってそういう存在でいたいと思います。

これから大人になる人も、もう大人になった人にも「別にこれ失敗じゃないな」みたいに思い直すようなきっかけを漫画はくれると思います。

他人の欲求を自分のものと勘違いする

――生まれてからあらゆるものに影響され続けてきて、果たして「自分」って本当に実在するのか?と思うことがあります。働き続けていると結構簡単に自分の「意志」や「やりたいこと」がなくなってしまったり…。自分のやりたいことや、好きなものが分からなくなりやすい今、鳥飼さんはどう「自分」と向き合っているのでしょうか。

鳥飼:自分が好きなものや嫌いなものが分からない、ってことはよくあると思いますよ。会社や学校で学ぶことに邁進しすぎてちょっと鬱みたいになっちゃった人は、自分がどうやったら癒されるとか、楽になるかを知らない場合が多い気がします。

ちょこちょこ息抜きできるといいんですけど、「この一杯のために生きてるな〜」とか「こういうときにどこどこのアレ食べたら元気出るんだよな〜」っていうものすら持っていない場合もあると思う。

――それこそ仕事に邁進しすぎて、引退した後、時間もお金もあるのに、「何もしたいものがない」って状態に陥ってしまうような人もいますね。

鳥飼:それは自分の欲求だって思っていたものが他人の欲求だったときなのかもしれないですね。

人がいいって言っているものを持ちたい、とか人にいいって言われることをしていたいとか、これが流行ってるから着たいとかこの店に行きたいとか、他人の評価を軸に動きがちなんだなって思うんです。自分も含めて。とくに、現代はスマホもあるし、どんどん他人の意志である情報が入ってきてしまう。
今は何を買うのもネットでレビューを見て決めるでしょう。私もそういうとこあります。

――ご飯を食べに行くのも口コミサイトを見る。

鳥飼:ちゃんと自分の舌や目で見られなくなってるなって自分でも思うから、単純な話だけど「どの色が好き?」程度のことでもネットとか見ないで、意図的に自分と向き合って、自分の快・不快にある程度正直にならなきゃいけないなって。

自分の快・不快にもっと正直になる

――快・不快に正直になる、とは?

鳥飼:何て言われたら嫌だとか、こういうことを言われたら不快だってことを分からなくなっているってすごく思うんです。

人生って基本的にオリジナルですよね。今まさに自分に降りかかったことは、ネットのどこを調べてもしっかりした解決策が見当たらない。たとえば自分の身のまわりの人、信頼している人や自分が味方だと思っている人に実際された「嫌なこと」って自分が快か不快かってことすら一瞬分からなくなっちゃうんですよね。

「信頼している人」というカテゴリーに入れていたのに、そこから乖離した瞬間に、どうしたらいいかわからなくなる。そして蓋しちゃうんですよ、人間関係がスムーズに行かないから。「それは嫌」って言葉がすぐにでてこない。

――それ、すごく納得しました。

鳥飼:カップル間でも、友人間でも、不快だって思ったら個々で「ふざけるな」くらいはやっぱり言っていかなきゃいけないのに、全体の意見を一緒に背負わなきゃ言えなくなってるから、「女性問題」とか「フェミニズム」とか話が大きくなって亀裂が走りやすくなっているのかなと思います。

「女っていうのはこうでしょ」っていう態度をとられたとき、自分として「違うよ」って言わなきゃいけないし、そのときに弱い態度を取ると結局どんどん「女って利用しやすいな」って一括りにして大きい輪の中で入れられてしまうから、

「女の人は一概にこうじゃないんだ」「男の人も一概にこうじゃないんだ」ってお互い思わないと、一人の相手の後ろに控えている男全体、女全体が敵に見えてきちゃうんじゃないかと思います。

――「こういうときにあれが食べたい」って小さいこともだし、トラブルとかオリジナルな経験を個々で采配できるように快・不快を自分で分かっておかなきゃいけないと。

鳥飼:全員一緒くたに「こうです」なんて処方箋はないから、自分に合っている生き方を見つけないといけないですよね。ブレない生き方で力を発揮する人もいるし、人に影響されて、しょっちゅう考えが変わって、それが性に合っている人もいる。自分がどういう人なのかを、自分で判断しなければ「自分の人生」とは言えないのかなあと、思ったりします。偉そうにスミマセン。

真貝友香

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