死はインターネットで学べる 持ち主が亡くなった「故人サイト」が持つ引力とは

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死はインターネットで学べる 持ち主が亡くなった「故人サイト」が持つ引力とは

『故人サイト』(社会評論社)著者の古田雄介さんへのインタビュー後編。なぜ人は「不謹慎かもしれない」と思いつつ、故人サイトに惹かれてしまうのか。遺されたサイトから見える故人の生き様や、そのメッセージについてを聞く。

【前編はこちら】飯島愛のブログは、なぜ死後も人が集まったのか ネット社会における死を考える

冷静に自分の死を見つめた人のブログ

――遺されたサイトから、サイト主の生前のパーソナリティーが見えてくることは多いのでしょうか?

古田雄介さん(以下、古田):それはすごくあります。突然の死よりも、病気で亡くなることを本人が事前に知っているタイプのサイトだと特に人となりがわかりやすいです。特に印象的だったのは、元NHKの記者の方の『どーもの休日♪~しかしなんだね。ガンだって~』(p164に掲載)。退職直後にすい臓がんになられて、もう助からないとわかっていながら、理路整然と自分の状況が客観的に書かれていて、見事なブログだと思いました。職業柄、自分で自分をインタビューしているような感覚だったのかもしれません。ですが、これってものすごく精神力の要ることだと思うんですよ。

――自分が死ぬと知らされたら、淡々と病状を書くより、「死にたくない!」と怒ったり悲しんだりしそうなものですよね。

古田:そうです。実際、ブログにそういった葛藤を書いて吐き出している方もたくさんいらっしゃいます。死を宣告されてから最期まで現実を直視できていないと、なかなかできないことだと思います。同様に、p166に掲載した『進め!一人暮らし闘病記。』も、サイト主のMOMOさんはとんでもなく冷静です。直腸がんで亡くなられたMOMOさんは闘病中、常に達観していて「自分が死んだあとに散骨してね」とか、死後の具体的なことをしっかり伝えています。周囲は「死ぬなんて縁起でもないことを」と言うんですが、MOMOさんは何にもすがっていないんです。

自殺に至るサイトが持つ「引き込まれそうな」感覚

――精神的に強いのですね。

古田:「私が死んでも世の中なんともないし」とあっけらかんとしていて、わざとらしくも空元気でもなく、本当に真正面からそう思っているのが伝わってきて、その思考がとても勉強になりました。ただ精神的にタフなだけじゃなくて、「死んだらどうなるんだろう」と全部逃げずに考えた結果、自分で納得して生きている、という論理的な思考の土台が見て取れるんですよね。

――逆に、感情剥き出しだったり、精神的に堕ちていたりして、調べていてしんどかったサイトはありますか?

古田:第5章の、自殺したケースばかりを集めた章を書いているときは、かなりしんどかったです。一冊通して“重い”本だとは思うのですが、自殺のサイトはその中でも、自分も引き込まれてしまいそうな感覚があって、この章だけはあえて紹介する事例を少なくしています。

――自殺に至るまでの心情がありのままにブログなどに書かれているんですよね。

古田:はい。本の中で紹介するには、やはり全部のログを遡って読むことになるので、サイトを読んでいて自分が堕ちそうになることもありました。ただ、そういうの含めて、故人サイトには価値があると思っています。例えば、「闘病記」として本にまとめられているものは、世に出る段階でご家族や編集者のフィルタリングが入りますよね。だけど、ブログやSNSだとフィルターのない状態で書いて公開している生々しさに触れられる。だからこそ、学べたり感じたりできるところがあると思います。

古田雄介さん

古田雄介さん

ネットで学ぶ死者の魂のメッセージ

――そういった“生々しさ”を本の形で見せるにあたって、何か工夫した点はありますか?

古田:極力、自分の考察を述べずに、事例を見せて淡々と紹介していくことを意識しました。私が何か意見を語るよりも、亡くなった方のサイトや、そこからにじみ出るものを見ていただいたほうが伝わると思いますので。この『故人サイト』の本の企画の核にあるのは、「死はインターネットで学べる」というものです。ネット上に残っているサイトは、その人自身が遺していった言葉そのもの。それが公開されているのだから、何もかもを不謹慎だと蓋をせずに真摯に受け止めて、生きている私たちが参考にできることがあれば学ばせていただくのはいかがでしょう、と提案しています。

――ではもし、古田さんが「自分の死が近づいている」という状況に置かれたとしたら、どういったことをネット上に遺したいと思いますか?

古田:そうですね……。今、僕自身が死について語っても、「この若造は何を言っているんだ」という印象にしかなりません。何を言っても机上の空論でしかないですから。でも、死を目前にしたら、死を書くことの重みに違いが出てくると思います。具体的に何を語るか、というのは現状わかりませんが、自分が生命飢餓状態に陥って死と直面したときにどういう思考回路を辿るのか、自分でも興味があります。もちろん、そういう状況になった自分が本当に冷静に思考できるのかの保証はありません。でも、希望としては、自分が死ぬとわかった上で、その瞬間に自分の中に生まれる思考を表に出していきたいですね。

(編集協力:プレスラボ)

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