同じ性質の人ばかりで集まっていると、その組織の問題点は見えづらくなっていくものです。慣習というものは変えにくく、それによって苦しむ人も多くいると思います。

“騎士道精神”に縛られて、イギリスに負け続けていたフランス軍もそうでした。1427年、神に啓示を受けた少女がそんな男たちを救います。彼女の名は、ジャンヌ・ダルク。誰もが知る歴史上の人物である彼女は、なぜフランス軍を救えたのか? そこには、固定概念に縛られない女性の強さがありました。

女性は“ジョーカー”を隠し持っている

iモード開発者の松永真理さんは、その著書『なぜ仕事するの』のなかで、とある人事部長のこんな言葉を紹介しています。

「いまの時代、女性が優秀だなあと思うのは手持ちのカードのなかに切り札のジョーカーを持っているからなんです。男にはそれがないから、上司の顔色をうかがったり、自分の意見も言えなくて縮こまってしまう。ところが女性はいざとなればエースさえも切れる切り札を持っているんです。つまり、この会社がすべてではない、といえる強みがあるんですよ」

この言葉の会社を組織に置き換えてみれば、どの時代でも通用する論理かと思います。

生涯、組織・群れのなかでパワーゲームをプレイし続けなくてはならない男に対し、別の選択肢を持つ女性は組織の序列やルールから自由。ときに奔放に振る舞って「空気が読めない」と男側の反発を招いたとしても、彼女たちの働きは硬直化した組織に風穴をあけ変革を促してきました。

神の啓示を受けたジャンヌ・ダルク

今回ご紹介するジャンヌ・ダルクも、そうした女性の持つ強みを生かして、最大限に能力を発揮した人です。

ジャンヌが「フランスを救え」という啓示を受けたのは1427年。この頃、英仏の間で前世紀から続いてきた百年戦争はいよいよ佳境で、神様が16歳の少女にわざわざこんな命令を下さなくてはならないほどフランスは大ピンチでした。

首都パリを含む北半分をイギリスに制圧され、最後の砦オルレアンは陥落寸前。王太子のシャルル七世は即位の目途もつかず、スペインかスコットランドへの亡命を考えていたほどだったといいます。

そんな窮地が、神様の啓示を聞いたという以外は何の実績も後ろ盾もない、頭のおかしな娘にフランスのすべての運命を託させることになりました。

しかし、ナポレオンは後に語っています。「女と戦争は素人こそ恐ろしい」ジャンヌはこの言葉を二重に体現することになるのです。

百年戦争を通じて常にフランスはイギリスに対し劣勢で、こと野戦に限って言えば戦えば必ず負けるといっていいほどでした。

フランスが負け続けていた理由

理由は、大まかに言って二つあります。

一つは、イギリスの秘密兵器、射程距離が600メートルを誇るロングボウの存在。

二つ目はフランスの主力、騎士たちの非効率な戦い方。彼らは騎士道精神に則り、律儀に名乗りをあげてから攻撃を開始しました。おまけに封建領主、要はお殿様の集まりなので、命令系統がなく、攻撃のタイミングはバラバラです。

そのため、フランスは百年戦争を通じて、

1)名乗りを上げている間にロングボウを打たれる
2)バラバラの突撃をかけている間にロングボウを打たれる

ということを繰り返していました。これでは勝てるはずがありません。

ところが、戦争のプロのはずの男の将軍たちが、この簡単な事実に気付きませんでした。固定観念に支配された組織というのは、古今東西問わずそういうもので、外部から「ほら、こうしたら卵は立つでしょう」と言われなければ、解決策を見つけられないものなのです。

“騎士道精神”を軽々とこえたジャンヌ

しかし、素人中の素人だったジャンヌは先入観からは自由。魔法のように、これらの問題を解いてしまいました。

まず第一の問題については、大砲を採用しました。大砲なら、射程距離は800~1000メートル。ロングボウをはるかに超えます。当然、反対意見はたくさん出ました。当時、大砲は何故か城攻めにのみ使われるものとされていたのです。

「こいつをあそこの人が固まっているところにぶち込むわよ」

「いけません。騎士道に反します」

「戦争は勝つためにやるんでしょうが。さっさとやりなさい!!」

こんなやり取りがあったかどうかは分かりませんが、ジャンヌが貴族の将軍様たちに対して、というか誰であろうがしかりつけるような口調で話したのは史実です。序列に自由というのは、彼女が持っていた強みの一つでした。

男のかっこつけとは無縁の強さ

第二の問題に対しては、突撃前の名乗りのような無意味な男のかっこつけは固く禁止。そして、彼女自身が攻撃の先頭に立つことで、指揮系統を一つにしました。彼女は剣よりも好きと語った自前の旗を片手に何万という兵達に向かって叫びました。

「on les aura!(あいつらやっつけちまおうぜ!)」

フランスの片田舎出身のジャンヌ独特の泥臭い、しかし、それだけに熱いこの掛け声は第一次世界大戦時のフランス軍のポスターの標語にもなりました。

そして奇跡が起きました。イギリスに七か月もの間包囲され、窒息寸前だった、オルレアンをたった一週間で解放。さらに、パテーに待ち伏せていたイギリス軍も鎧袖一触といった感じで打ち破り、パリ以南のイギリス側の勢力をほぼ駆逐しました。事実上、百年戦争は、この時に「勝負あり」になったのです。

自由に生きるジャンヌのもとに集う男たち

1429年7月17日、シャルル七世はフランス王家の伝統通りランスの大聖堂で王位の座につきました。ジャンヌが歴史という大舞台に現れてから信じがたいことにわずか4か月後のことです。王の裾にすがりついて喜びにむせび泣く乙女の姿を見て、誰もが涙したといいます。

ジャンヌの幸運は彼女が理解者、アーサー王の話でたとえれば、ガウェイン達に恵まれていたことにもありました。特にフランス王家よりも裕福だった貴公子ジル・ドレと、ジャンヌも「優しく美しい私の公爵様」と称えたアランソン公の二人は大親友でした。

皆20~30代のまだ若い騎士たちでしたが、このだれかれかまわず怒鳴り散らす、エキセントリックな娘をおかしがりながらもしっかり支えました。確固とした自分自身の原理原則を持ちながら、自由に生きるジャンヌを、時に眩しく見ることもあったのではないでしょうか。

しかし、シャルルの即位によってジャンヌの歴史上の使命は終わったようです。舞台は、神の戦いから、戦後処理も見据えた男たちの複雑なパワーゲームに移り変わっていました。ひょっとしたら、この時、ジャンヌは冒頭の女性だけが持つ切り札を切るべきだったのかもしれません。

男社会で生き続けることの難しさ

時代の流れに取り残された少女は、コンピエーニュの戦いで捕虜となります。そして1430年、イギリスの卑劣な異端裁判の罠によって、ルーアンで刑場の露と消えたのです。まだ19歳でした。

彼女の栄光と悲劇は、女性が男社会で能力を発揮する鍵を示すと共に、そこで生き抜き続けることの難しさも伝えているようです。

ジャンヌが死んでから24年後、ジャンヌに下された異端の判決を無効とするために、復権裁判が開かれました。ジャンヌに仕えたナイトたちも名誉回復のため法廷に立ちます。ただ、ジャンヌの親友の一人だった、ジル・ドレはこの法廷に駆けつけることが出来ませんでした。ジャンヌが火刑になったことのショックに精神を病み、復権裁判に先立つ1440年、火あぶりにされていたのです。罪状は数百人の少年に対するあまりにも猟奇的な殺人でした。

もう一人の親友、アランソン公だけが、法廷に立ちました。美貌の若者も、この頃には男たちのパワーゲームに消耗し、汚れた中年になっていました。

彼は少女の掲げる旗の下戦場を駆け巡った、二度と戻らぬ輝きに満ちた青春の日々を、我が事ながら神話の様に語っています。その言葉を以て本項の締めとしたいと思います。

「私とジャンヌは戦場では同じ寝藁で眠ることもありました。一度だけ、月明かりのなか、彼女がそっと起きて、(お湯を使うため)鎧を脱ぎ、白い肌をあらわにしたのを見てしまったこともあります。でも、決して淫らな気持ちを抱くことはありませんでした。とても、とても、不思議なことに……」

参考文献:『奇跡の少女 ジャンヌ・ダルク』(レジーヌ・ペルヌー著、塚本哲也監修、遠藤ゆかり訳、創元社)/『ジャンヌ・ダルクの実像』(レジーヌ・ペルヌー著、高山一彦訳、白水社)/『《青髭》ジル・ド・レの生涯』(清水正晴著、現代書館)
【第1話】すべての女性がもっとも望むものは何か? アーサー王の物語に学ぶ
【第2話】北条政子の名演説に学ぶ、“意志を伝えられる”女性になるために必要なこと

黒澤はゆま(くろさわ・はゆま)1979年、宮崎生まれ。大阪在住。システムエンジニアの仕事のかたわら、小説教室「玄月の窟」で修業。エージェントに才能を見出され、2013年に歴史小説『劉邦の宦官』(双葉社)でデビュー。2015年10月、真田昌幸を主人公にした第2作『九度山秘録』(河出書房新社)出版。愛するものはお酒と路地の猫。
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