日本を初めて訪れた中国人に街を案内していると、彼らが一様に驚く光景がある。朝、大きなランドセルを背負って通学路を急ぐ小学生の姿だ。そんな子どもたちの愛らしい様子を見た中国人たちは、「一人で登校させるなんて中国ではあり得ない。恐ろしい」と口を揃える。中国では、小学校の校門に送迎の保護者が詰めかける光景が登下校時の“名物”になっているが、それは決して過保護なわけではなく、大事な子どもを守るための当然の措置なのだ。

世界トップレベルの治安の良さを誇る日本だが、すぐ隣の国では非人道的な児童や婦女の誘拐事件が多発している。他者への無関心、経済格差の拡大が叫ばれるなか、日本の社会も刻一刻と変化している。「自分のまわりは大丈夫」だと、あなたはいつまで言い切れるだろうか?

中国で深刻な児童誘拐の問題

映画『最愛の子』より

映画『最愛の子』より

『最愛の子』という中国映画が現在公開中だ。2008年に行方不明となった男児が3年後に親元に戻ったという実際の事件が物語のベースになっている。息子の行方を必死で捜す両親の苦しみを伝える一方、自分が不妊症であるがゆえに夫がよその女に産ませた子だと信じ、誘拐されてきた子どもを育てる女性の嘆きを、双方の立場で描いているのが見どころ。2014年に中国で公開されるや大きな反響を呼び、児童誘拐の問題に改めて人々が関心を寄せるきっかけを作った。

一部メディアは、中国では毎年20万人もの児童が誘拐され、そのうち無事親元に帰ることができるのはわずか0.1パーセントだと報じている。実際あの広大な中国で小さな子どもが何人姿を消したかなど正確に把握することはまず不可能であり、公安当局も20万という数字の根拠を否定している。しかし、大勢の子どもが姿を消し、いなくなったら最後、帰ってくる望みがほとんどないことは事実だ。

監督を務めたピーター・チャンは、90年代香港映画を代表する作品『ラヴソング』などで知られる名匠。昨年、来日した際に取材に応じ、この映画の内容について「解決しようのない問題」だと訴えた。

「買い手」が後を絶たない中国の現実

映画『最愛の子』より

映画『最愛の子』より

問題の背景には、養子縁組にかかる法律の問題、根深い男尊女卑の思想、昨年廃止が決まった「一人っ子政策」の影響など、さまざまな要因が複雑にからみあっている。

流動人口の多い中国では、子どもを連れて街を出られてしまえば最後、見つけ出すことはきわめて困難だ。組織化された人身売買集団がネットワークを形成しており、貧しい出稼ぎ労働者が、手っ取り早く高い報酬を得られるこうした犯罪に手を染めていく。

当然、誘拐が頻発するのは、「買い手」が後を絶たないからだ。さらわれた子どもたちが行き着く先は、貧しい農村の子どもを生めない夫婦や、働き手となる男児がいない夫婦、さらに、極度の貧困や身体に障がいがあって結婚できない男性、身の回りの世話が必要な老人など、実にさまざま。さらに、さらった子どもを傷つけ、障がい者にして物乞いをさせるケースや、臓器売買に利用したり、地下ルートで海外に養子に出すケースも珍しくない。

「一人っ子政策が原因」は短絡的結論

昨年廃止が決定された「一人っ子政策」を児童誘拐の原因だという意見もある。確かに、同政策のため、一人目の子どもを産んだ後に避妊手術を施す女性も多く、不慮の事故などでその子を亡くした場合、やむを得ずもう一人子どもを「買う」手段を選ぶ夫婦もいるだろう。ただ、第1子が障がいを持って生まれてきた場合や、農村部や少数民族には第2子を持ってよいという例外が認められていたり、都市部でも2013年11月以降、夫婦のどちらかが一人っ子の場合は第2子まで産むことを認められるなど、段階的に緩和が進んでおり、この政策を児童誘拐の原因だとまとめるのは短絡的だ。逆に言うと、一人っ子政策の廃止が児童誘拐の減少につながるとも考えにくい。

「児童誘拐は、政策だけの問題でもなければ、中国の伝統的な男尊女卑の思想だけの問題でも、地域格差だけの問題でもない 。すべてが複雑にからみ合い、解決の糸口がみつからない」とチャン監督は言う。

児童や婦女の人身売買にある、行きすぎた利己主義

映画『最愛の子』より

『最愛の子』には、失踪した子どもを捜す親の弱みにつけ込み、詐欺まがいの情報提供を行って金銭を巻き上げようとする輩も登場する。被害者家族を取り巻く残酷な状況に背筋が寒くなる。香港出身で、タイ、米国と移り住んできたチャン監督は、中国社会を客観的な目でとらえて映画を作る才に長けた人だ。そんな彼は本作に「現在の中国が抱える問題は、皆が自分のことだけしか考えないことだ」という批判を暗に込めた。

度重なる激動の嵐にもまれてきた中国の人々は、基本的に国を信頼しないと言われる。自分が生きていくために必死で、他者に害が及ぶことは厭わないーーそんな行きすぎた利己性を悲劇的な形で表出させた問題が、児童や婦女の人身売買なのかもしれない。

問題の解決は困難を極めるが、『最愛の子』は、児童誘拐という深い闇の入り口にかすかなながら光を灯すことに成功している。「映画の公開後、児童失踪を通報するSNS上でのプラットホームが注目されるようになりました」とチャン監督。監督はじめ映画に出演したスターたちがスポークスマンを務めたことも一役買った。さらに、映画の公開から半年後、それまでは誘拐した側だけが罪に問われていた法律を、買い手側も有罪とするように見直しが行われた。

他者の苦しみに、ほんの少し思いを巡らせる。それだけで減る犯罪が必ずある。

●公開情報
『最愛の子』
公式サイト
シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中
配給:ハピネット、ビターズ・エンド
画像:(C)2014 We Pictures Ltd.

新田理恵

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