シリア難民の実情と、子どもたちの願い「僕の夢はね、故郷に帰ることなんだ」

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る
シリア難民の実情と、子どもたちの願い「僕の夢はね、故郷に帰ることなんだ」

2011年春に始まったシリア紛争が激化している。メディアは日々、様々な視点から報じているが、隣国・ヨルダンに難民として逃れている約63万の人々がどのように暮らし、何を思っているのか、細やかな部分は知らないという人も多いのではないだろうか。支援団体「サダーカ」のメンバーで、情操教育(音楽・体育・美術)を通して子どもたちのケアを行ってきた斉藤亮平氏が見た、シリアの人々の現実をお届けする。(編集部)

長引く難民キャンプ生活に疲労がにじむ

「目の前に爆弾が飛んできてね、右足が無くなっちゃったんだ。でもね、僕は今こうして生きてることを神に感謝してるんだ。」

14歳のNは終始穏やかな声でそう話した。シリアから隣国ヨルダンにあるザータリ難民キャンプに来る途中に見た地獄絵図のような光景を話す間も、Nは変わらず穏やかな声だった。14歳の少年が見た残酷な光景に、思わず耳を、思考を塞いでしまいたくなった。

シリア国境付近にほど近いザータリ難民キャンプはシリア紛争開始後、間もなく設立され、現在は約8万人のシリア人が生活をしている。当初数棟のテントだったキャンプも今ではプレハブ式住居に変わり、公共施設やインフラの整備も進み、電化製品を売る店や八百屋、食堂が集まった通りを歩くと、まるでどこかの「町」にいるかのような錯覚を起こすほどだった。「シャンゼリゼ通り」と呼ばれるその通りは賑やかで活気に溢れていた。

20151202-s6

「シャンゼリゼ通り」と呼ばれるメインストリート。ここで一通りの生活用品を手に入れることができる。

しかしその中での生活は決して快適なものではない。乾燥地帯に突如つくられたキャンプの気候はとても厳しい。頻発する砂嵐、夏は連日40℃を越え、冬は凍てつく風が吹きつけた。そして水捌けが悪い土地ゆえに降雨後の水害でテント内は水浸しになることもある。また衛生や教育、食糧などの問題は各支援団体が取り組んでいるものの、解決には至っていない。長引くキャンプ生活に人々は疲労感と先の見えない不安を滲ませていた。

20151202-s7

密集する住宅。キャンプ地は砂埃が酷く、真冬は雪が降ることもある。

私は1年間、NGOが運営する施設で情操教育(音楽・体育・美術)を通して子どもたちのケアを行ってきた。12歳くらいから16歳くらいまでの子たちが通う学童のような施設で、主に音楽のアクティビティを担当し、それ以外にも子どもたちと多くの時間を共有した。賑やかで逞しく、愛くるしい子どもたちは紛争前に青年海外協力隊員としてシリアの学校で教壇に立っていたころに見た子どもたちと重なり、ホッとする瞬間でもあった。難民の子どもというと、悲壮感漂う写真をよく目にするが、あれが全てではない。どんな状況下においても子どもたちはよく遊び、よく走り、よく歌い、よく食べ、よく学ぶものなのだとザータリ難民キャンプに来て思い知った。また、「日本語で私の名前書いて!」「日本の歌を歌ってよ!」「日本ってバスで行けるの?」「日本の人は何食べるの?」「日本って平和な国だって聞いたよ。私もいつか行ってみたいな。」と日々質問と要望の波に呑まれっぱなしだったが、日本へ興味を示す子どもたちはとても多く、嬉しかった。

一方、個々の関係が出来てくると、不意に戦争のこと、キャンプでの生活のこと、これからのことを話し始める子もやはり少なくはなかった。

「僕の夢はね、シリアに帰ることなんだ。」
「シリアから歩いてヨルダンまで来たんだ。3週間くらいかかったかな。毎晩寒さと怖さで震えてたよ。」
「時々、爆撃に巻き込まれて目の前で死んだお父さんのことを思い出すんだ。」
「来週、このキャンプを出て都市部で働くよ。もっとここで遊んだり勉強したかったけど、、、家族に男手がなくなってしまったから僕が稼ぐしかないんだ。」
「あそこの小高い丘に上るとシリアが見えるの。とても近いけど、遠い国だよ。」

私は返す言葉もなく、ただ隣で聞いていた。聞くことしかできなかった。

様々な文化が混在するシリア。みんな誇りに思っていた

「シリアへ帰りたい。」

そう口にするシリア人は多かった。大人も子どもも、シリアの話となると声色が明るくなった。シリアや自分の住む地域自慢の話に花が咲く。皆、シリアが大好きなのだ。

20151202-s1

ユーフラテス川の恩恵を受ける子どもたち。夏は一日中ここで遊ぶそうだ。

世界で最も古い都市のひとつとされる首都ダマスカスを始め、多くの遺跡や城が点在するシリアはユーフラテス川や豊かな自然にも恵まれた国で多くの文化が混在していた。野菜や果物の収穫も豊富で(トマトやジャガイモは1キロ30円ほど)、シリアの料理は周辺国も認める美味しさだった。また人々はホスピタリティに溢れ、「おいおい君、ちょっとここに座りなさい!」と言われ家の軒先で何杯もの甘いお茶を頂き、今度またご飯を食べに来なさいと笑顔で迎えることが何度あったことか。そんなことが日常の一コマであり、また彼らもそうした文化を誇りに思っていた。

20151202-s5

空き地に植えられた向日葵の花。 緑や植物が豊富だったシリアを懐かしむ時。

音楽のアクティビティの時間に、歌が上手なシリア人スタッフAに子どもたちのために歌を歌ってくれたないかと頼んだことがあった。

「遠く、後方に眺める愛しい山よ」

アラブの歌姫・フェイルーズが歌うこの曲をAは朗々と歌い出した。歌い出して1分も経たないうちにAは目頭を赤くし、堪え切れず涙を流し始めた。後ろを向き、涙を拭っている様子に他のスタッフが気付き、この歌を終わらせようとしたがAはもう一度子どもたちの方を向き直し、残りのフレーズを歌い切った。声を張ることもなく、記憶を一つずつ辿っているかのように歌われたAの歌に、私も思わず涙腺が緩んでしまったことを覚えている。あんなにも染み入る音楽を聞いたのは久しぶりだった。

「ごめんさない、つらいことさせちゃって。でもほんときれいな声だった。ありがとう。」

と授業後Aに話すと、「何言ってるの。涙が溢れたのはね、故郷を思い出したからよ。」と、優しい表情で話してくれた。彼女にとっての「愛しい山」とは首都ダマスカスに聳え立つカシオン山のことだと教えてくれた。

20151202-s4

西部に位置するシリア第5の都市ハマ。町中には16の水車が今なお回り続けている。

ヨルダンには今、約63万のシリア人の難民がいる

現在、ヨルダンには約63万のシリア人が難民として逃れてきている。ヨルダンの人口の約10%に相当する数だ。上述の難民キャンプの人口が約8万人と記したが、残りはどこへ? と思う方も多いのではないだろうか。実はほとんどの難民が都市部に住んでいるという現状がある。

難民キャンプとは状況が異なり、彼らが抱える一番の大きな問題は家賃の支払いであり、就業を禁止されているシリア人は現金を得ることが難しい状況下にある。受入国であるヨルダンは一時的なシリア人の受け入れはしているが、永続的にシリア人を定住させ職に就いてもらっては困るという立場である。もしこれだけのシリア人に就業機会を与えてしまったら、ヨルダン人が職を奪われかねない。見つかれば捕まるかもしれないというリスクの中、それでも働くシリア人は少なくない。

家庭の状況によりUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)や支援団体からの支援もあるが、紛争の長期化に伴い、減額されている。またWFP(世界食糧計画)からのフードクーポンに関しても同様に減額の一途を辿っている。

僅かな現金を得るために、子どもが働くケースもそう珍しいことではない。食べ残ったホブズ(アラブ地域で食べられる薄いパン)を袋一杯にかき集め、家畜の餌として売っているという。僅か数百円のために一日中町を駆けずり回る子どもたちは1年後もこうしてパンをかき集めているのだろうか。

ヨルダンの首都アンマンに住むシリア人の家庭を訪問しながら衣服提供や生活支援を行なっているサダーカという日本のシリア支援団体がある。私も何度か家庭訪問に同行させてもらったが、どの家庭もがらんとした部屋の中で子どもたちの声だけが響いていたことを覚えている。多くの家庭を回り、シリア人の声を聞きつつ支援を続ける田村代表は「支援を止めるわけはいかないが、各支援団体も支援に限界を感じている。まずはシリアの紛争を止めること。これが一番必要なこと。」と語っていた。

シリアの人は故郷に帰る日を待ち望んでいる

20151202-s2

アラビアのローレンスが「世界で最も美しい城」と称した十字軍時代の城「クラック・デ・シュバリエ」。

難民支援なんて本来は無くなるべきではないだろうか。

紛争が起これば人々が命を落とし、傷を負い、家を失い、自然や文化財が破壊され、諸外国の思惑や利権が渦巻き、大量の難民が周辺地域に逃れ、支援国もが苦しむ。そして、子どもたちの将来を奪い、後世に大きな傷跡を残すことになる。そんなことをなぜ繰り返すのだろうか?

涙を堪え国を後にしたシリア人たちは何もかも失い、それでも故郷へ帰る日を待ち望んでいる。

20151202-s3

かつてオリーブの生産が世界6位だったシリア。春先には芝桜がオリーブ畑を覆う。

昨今、ヨーロッパへ逃れる難民の問題が取り上げられ、難民受け入れの是非を問う議論も行われ始めている。しかし彼らは本来ならばシリアで暮らしたいと願う人たちであり、難民の行く先や支援の問題を語る前に、いかにすれば彼らがシリアで再び平和な暮らしを取り戻せるかを考えていくべきではないか。どれだけ支援をしても、どれだけ難民を受け入れても、シリアでの紛争が終わらない限り、負の連鎖は果てしなく続いていくだろう。

「最近、シリア人っていうとテロリストとか言われるよ。俺はテロリストじゃないのにな。」と話す日本在住のシリア人がいた。

「日本って平和な国だって聞いたよ。私もいつか行ってみたいな。」と呟いた難民キャンプの女の子の顔が目に浮かんだ。驚くほどに日本に好意的なシリア人、「私たちももう少しアラブのことやシリアのことを知っていこうよ。」と私も呟いていきたい。

■公式サイト
シリア支援団体サダーカ
公式サイトFacebook

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

シリア難民の実情と、子どもたちの願い「僕の夢はね、故郷に帰ることなんだ」

関連する記事

編集部オススメ

後悔のない30代を過ごしたい。ありとあらゆる分野のプロフェッショナルに、40歳から自分史上最高の10年を送るために「30代でやっておくべきこと」を聞いていきます。

記事ランキング
人が回答しています