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2015/11/04
LGBTへの社会的関心が高まる昨今、メディアでは日々さまざまな活動・メッセージが報じられている。アートの分野でもLGBTがテーマの作品は多く存在するが、性器が写っているものなどは、ときに「わいせつ」と判断されることもあるようだ。一般の美術作品・写真であれば「アート」として捉えられる性器が、なぜLGBTがテーマだと「わいせつ」とされてしまうのかを、レズビアンという自身のセクシュアリティを題材に作品を発表するアーティスト・文筆家のヒノヒロコさんが分析する。(編集部)

はじめまして、ヒノヒロコと申します。今回、ウートピ様で「LGBTとアート」について書かせていただけることになりました。どうぞ、お手柔らかにお願いします。

LGBTのアートは「わいせつ」?

皆さんはエロいというと何を思い浮かべますか? 陸上部で汗を流す部活少女? 膝小僧が制服で覆われた私立の女子高生? ちなみに私はテキーラを散々飲まされてトイレでひたすら吐き続けていたゆかちゃんの汗ばんだ首筋が最高にエロい思い出として残っています。

エロいというと沢山のことを想像できますよね。それでは次に「わいせつ」というとどのようなことを思い浮かべますか?

わい‐せつ【×猥×褻】
[名・形動]
1 みだらなこと。いやらしいこと。また、そのさま。「―な話」「―な記事」
2 法律で、いたずらに人の性欲を刺激し、正常な羞恥心 (しゅうちしん) を害して、善良な性的道徳観念に反すること。「公然―」「―物」
(出展:デジタル大辞泉)

国語辞書では「みだらでいやらしいこと」とありますね。みだらでいやらしい。エロいと意味が近いようで、「わいせつ」という言葉で表すととても遠く聞こえますね。

LGBTアート「わいせつ」判断はなぜ

鷹野隆大、変更後の展示風景(愛知県美術館)

この写真に見覚えのある方はいらっしゃいますか? 2014年に、愛知県美術館の「これからの写真展」に出されていた鷹野隆大さんの作品です。Twitterなどで話題になったので、あ!見たことある!と思う方も多いかもしれません。

LGBTアート「わいせつ」判断はなぜ

鷹野隆大、変更後の展示風景(愛知県美術館)

写真作品の一部に性器が写っているため、「わいせつ」と判断され、撤去命令が出ました。作品を覆うシーツは、その問題になった性器を隠すために急遽とられた緊急措置でした。これには、周囲から過剰反応だという声が上がり、鷹野さんご自身からも「表現の自由(あるいは言論の自由)が侵された」と述べています。

作品が税関で没収される事件も


また、ロバート・メイプルソープという、有名なゲイの写真家がいます。彼の作品も、性器が写り込んでいるという理由で、「わいせつ」であると判断され、日本の税関が没収した「メイプルソープ事件」というものが1999年に起こりました。

この世に一体どれほどの性器が露わになっているアート作品があると思いますか? 有名なダビデ像やミケランジェロの彫刻も、男性器が露わになっています。一体なぜ、LGBTのアート作品は「わいせつ」とされ、受け入れられないのでしょうか。

これには、日本人によるホモファビアが深く影響しているのではないかとされています。美術批評家の土屋誠一さんはTwitterで鷹野さんの作品が「わいせつ」だと通報が入ったのは「二本のペニス」に対してなのではないかと意見されていました。それではもしこれが「一本のペニス」だったとしたら通報は入ったでしょうか?

鷹野さんの作品は、二人の男性が親密な関係であることを匂わせています。男女のダブルポートレートに関しては、通報及び処置は取られていません。その大多数が「ペニスが一本」だから「わいせつ」でないと判断され、「ペニスが二本」あると撤去命令が起きる。因みに、私のようにパフォーマンスアートの分野で活動している女性のアーティストの方にはよく全裸になり、生身の身体を用いて表現を行うアーティストがいらっしゃいます。けどそういうのって、あんまり「わいせつ」と言われることがないんですよね。

残念ながら、それが今の日本のアート界を取り巻く現状です。

LGBTアート「わいせつ」判断はなぜ

鷹野隆大、変更後の展示風景(愛知県美術館)

LGBTのアーティストの作品の傾向

けどだってなんかやたらと脱いだりしててよくわからないんだもの……という方。確かにLGBTの当事者の作品の傾向としては、自分の身体を用いたり、見せたりする表現が多いように思います。私もそのうちの一人です。

これはなぜかというと、「アートというものは自分のセクシャリティに対し、常に正直でなくてはならない」という言葉があるくらい、アートって、誤魔化しがききません。それ故にLGBTのアーティストは、自分自身のセクシャリティ、ジェンダーなどを表す際、当事者である自分の身体を表現媒体にすることが、一番伝わりやすいと思うのかもしれません。

LGBTアート「わいせつ」判断はなぜ

ヒノヒロコ「レズビアン・フリークスの誕生」

私の作品も、自分の身体を使います。「レズビアン・フリークスの誕生」という作品では、私は自分のセクシャリティを隠した状態で、望まない結婚をするウエディングドレス姿の同性愛者達に対し、カミングアウトのメタファーである嘔吐を行います。

おう‐と【嘔吐】
[名](スル)食べたものを胃から吐き戻すこと。「苦しそうに―する」
類語 反吐(へど)
関連語 吐瀉(としゃ) げろ
(出展:デジタル大辞泉)

嘔吐。ゲロ。皆さんはどんなときにゲロを吐きますか? 緊張しているとき? 飲みすぎたとき? 何かものを吐くときって、凄く苦しいですよね。苦しくて、緊張して、具合が悪くなったりして、そうしてようやく吐き出すものだったりしないでしょうか。私はそこに焦点を当て、嘔吐をカミングアウトのメタファーとして用いました。

このように私は自分自身がレズビアンであるということや、同性愛者が抱える諸問題・偏見・誤解をパフォーマンスアートという身体表現の分野で作品化しています。

「過激なアート」である意味

けれど、私の作品もよく新聞などで取り上げて頂く時は「過激なアート」として、表現されます。

世の中には大量のアート作品があり、こうしている今1分1秒も、様々な作品が生まれています。アーティストは皆、自分の作品を通して如何にして伝えられるか必死になって毎日模索しています。

皆そうして真剣な中で、私はただきれいなだけの作品では、人の心には何も響かないと思いました。皆必死に物を作っている中で、レズビアンであるということ、セクシャルマイノリティの置かれている現状を表現するといった時にある種の「過激さ」がないと、人の心には何も残せないで終わる気がします。

だからこそ、私はある種「過激」とも言える方法で、皆さんにアートというものを通してセクシャルマイノリティの諸問題をお伝えしています。アートって絵画とかならわかるけどそれ以外のものだとよくわかんない…と思ったり、「LGBTとアートって何か関係あるの?」と思われた方々が少しでも興味が湧いてもらえればと思います。

ヒノヒロコ

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