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2015/11/01

飯島愛の“寂しさ”を振り返る

飯島愛のブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」が、2015年10月31日23時59分に閉鎖された。最後の更新は08年12月5日。同年12月24日に、飯島は自室で帰らぬ人となっていたところを発見された。死因は肺炎で、すでに死後1週間ほど経過していたという。ブログのコメント欄には、追悼のコメントやメッセージを書き込む人が相次ぎ、08年12月5日付けの記事のコメントは7万件以上にのぼった。

ぶっちゃけトークが人気に

飯島は、バラエティ番組での歯に衣着せぬ物言いで人気となり、過去の両親との確執、家出、援助交際、整形、AV出演などを赤裸々に告白した自伝『プラトニック・セックス』(小学館)はミリオンセラーとなった。「お金が大好き」と公言して憚らず、自分の弱さ、汚さも露にすることで支持を得てきた飯島。しかし、彼女がぶっちゃけたのは、それだけではない。「寂しい」という感情すらも隠さなかった。茶化すわけでなく、自虐でなく、婉曲にかまってもらおうと試すわけでもなく、心の底から発せられる「寂しい」という叫び。これは、他のぶっちゃけタレントとは一線を画している。「寂しい」と一言書くのは、「お金が大好き」「きれいな女に嫉妬する」「死ね」「死にたい」と書くことよりもはるかに恥ずかしく、難しいことだと思う。

「あのね、大切な人達&アタシのお誕生日なの お父さんお母さんありがとう みんなありがとう
色々あるけど、生まれてきて良かったよー 色々あるけど、このエコな時代に、生まれてきて地球には悪い事した。ごめんねー。みんな、ごめんね。自分の誕生日って何歳になっても、特別な日だ。ブログ書いたのは、きっと、存在価値を確認したい衝動、なんだと思う。寂しがりヤだな。。。だから、皆で、同じ時代を生きて行こうねー では、またね」(2008年10月30日「お誕生日おめでとう」原文ママ)

「時々、急に、寂しくなったりしませんか? 理由は、恋をしているからとか、男に振られたからとか、忙しない毎日に身を委ね、ふと気がついた瞬間とか なんか空虚感が突然襲ってきたり、、、大好きな曲を懐かしく感じた時とき、思い出に縛られちゃって動けない事とか、、、ない? 非日常でなく日常の中にポカンと穴が空いちゃっている感じ。ない? そんなときに、PCに向かう傾向有り、、、心配しないで、わたくし、かなり元気にやっております。、、、、、、ただ、もの凄い寂しがりやであります。だって寂しくねーか? 一人じゃ生きていけないんだモン。最近、眠れぬ日は夜な夜な、各メーカーのコンドーム検証中。ゴムッて凄い肌にまとわりつくんだね。ピッタリと。苦しいくらい。これを付着した際の男の気持ちがわからない。私の左手では。。。毎晩、外科医みたいです。……、なにしてんだろう? こんな大人に成らない様に、ガンバレ受験生!!! そしてアホ友も。人生どうにでもなるぞ、楽しいぞー。踊ったり、踊らされたり、ね」(2008年11月30日「踊ってます。」原文ママ)

「っ、寒い寒い。寒いさみ~い寂しい寒い。人って、体温って、温かかったよね? 人肌恋しい。いや、人肌欲しい。今は暖をとる方が優先だ。体温下さい。もれなく付いてきます。マジでウチは寒いんだ。天井まで窓ガラスだし、壁面積が少ない。今ね、身体にカイロ5個も張りまくりで、ノン気にスピッツの新譜『若葉』を聴いてます。今日はこの曲で終わり。草野さん(不思議発見!!!じゃないよ)相変わらず素敵なメロと歌詞ですね。何故か、偶然、毎度毎度、を、まとめると常にですか? スピッの新譜を聴く度にその歌詞が、その瞬間の心にバッチリ響くのです。不思議。因にですが、私と草野さんは恋人ではないし、全く関係ありません。あ、知ってる?そうか。。。桑田さんは『ひとり紅白歌合戦』だね。Youtubeでスタンバッてはみますが….!!!!? あ~、寒い。カイロじゃ物足りない」(2008年11月28日「寒い」原文ママ)

「寂しさ」を隠さなかった

ブログ以外のインタビューでも、飯島は寂しさを隠さなかった。その感情は、恋愛、結婚、出産にまで切り込んで述べられた。

「人って、寂しい生き物だと思うから、やっぱり一つになりたいんです。こと恋愛において、一番一体感を感じ合えるのがセックスじゃないですか。だから、セックスがない恋人同士がなんの不服もなくおつき合いできているなんて、私にはちょっと考えられません」(『コスモポリタン』2001年6月号)

「私はすごい高層マンションに住んでるんですね。ニューヨークに行ったときに、高いところから見下ろすと天下とったような気分になることがインプットされたせいだと思うんだけど、街の騒音が遠くに聞こえて、現実的じゃない空間みたいで気持ちいいの。でも、ひとり、深夜にすごいきれいな夜景見ながら、コンビニのお弁当食べたりしていると、虚しくなる(笑)。『寂しいな、私』って。そんなとき、チラッと結婚の文字が頭をかすめなくもない。あと、電球が切れたとき。天井に届かないの。(中略)でも、私、男のかわりに脚立は持ってます。それがまた寂しいだろって(笑)」(『コスモポリタン』2001年10月号)

「私だってこの先、家族もなく孤独でいるのは怖いから『子供もいていいかな?』って思うもの。今は仕事も含め、24時間をすべて自分のために生きているわけで、それも確かに快適よ。でも、時として心によぎる焦燥感は一体何だろうと感じる瞬間もあるわけ。結局、幸せって『何らかの形で腹を括る』ことで、それがないと、飽くなき自己実現に永遠にとらわれて苦しいまま…。(中略)だったら産めばいいのにですって? 正直いって今の私はそこまでの割り切りはないのよね。(中略)私の中の闇みたいなものを、子供を産み育てるということですり替えたくはないから」(『25ans』2003年8月号)

ブログやSNSの普及のせいか、人は弱い部分、汚い部分を“ぶっちゃける”ことの抵抗が希薄になった。なかには「みんなが言いづらいと思うから」と前置きした上で、わざわざ書かなくてもいいような“ホンネ”を書き綴り、共感を得ようとする人もいる。その一方で、「寂しい」「孤独」ということは、いまだに書きづらいところがある。「寂しい」は、自分の弱さをさらけ出すだけでなく、その上で人を求める行為だからだ。

その人の“寂しくない度”は、「友達」や「フォロワー」の数に代わって数値化されている。フォロワーがたくさんいるのに「寂しい」と書けば強欲そうに見えるし、フォロワーが少なくて「寂しい」と書けばシャレにならないくらいかわいそうな人に見えるのではないかと気が引ける。何度も何度も「寂しい」と書けば「かまってちゃん」と嘲笑され、スルーされればなおいっそう寂しさが募る。「寂しい」なんて恥ずかしい、孤独を愛せるほうがカッコいい、と感情に蓋をして気付かぬふりをしている人もいるだろう。

きらめく夜景を見下ろす高層マンションで、ひとり死んでいった飯島。彼女がむき出しにした寂しさに、ブログを訪れる人は自らの孤独を紛らわせていた。行き場をなくした寂しさは、どこに向かうんですかね。つながってもつながっても満たされることのない思い。やっぱり一人で強く生きていかなきゃいけないのか。

亀井百合子

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