安冨歩さんインタビュー

>>【前編はこちら】日本企業はマツコ・デラックス的な人を排除してきた 女性装の東大教授が語る、真の多様性

自身のなかから“自分自身でないもののフリ”を除いていった結果、トランスジェンダーである自分に気づき、男装をやめて「女性装」をはじめたという経済学者の安冨歩さん。優秀なはずの人たちが嬉々として集団暴走し、バブルを起こした……当時、銀行員として時代の狂気の渦中にいた安冨さんは、研究の結果、その理由を「自分でないものになっていたから」とします。それによって生じるストレスが、暴力や犯罪、差別につながり、やがてはバブルや戦争、環境破壊につながっていくといいます。

女性装をするうちに気づいたことを『ありのままの私』(ぴあ)に著した安冨さんへのインタビュー、後編は、日本の社会において女性が排除されつづける理由からはじまります。

男性社会の構造は江戸時代から続くもの

安冨歩さん(以下、安冨):前編では、かつて日本の企業は“無縁の人”を置くことで機能していた、という話がしましたが、もうひとつ大きな特色があります。本書ではホモセクシャルを『日本人は昔からやっている』と紹介しましたし、それは日本社会の重要な特質です。しかし江戸時代の男性関係は、同時にパワハラの側面が強いものでした。つまり、お殿様と小姓、番頭と丁稚といったように、上下関係のなかで男性同士の性的関係が結ばれることが多かった。このパワハラの側面が、日本の企業に脈々と受け継がれているのです。

上下関係と恋愛がセットになっているので、上司と部下はプラトニックであっても、恋愛関係のようなもので結ばれています。会社帰りにはみんなで飲みにいって、休みの日はみんなでゴルフにいって、社員旅行で海外に買春にいく……なんてことが、私の銀行員時代は当たり前のように行われていました。私は、「なんでこんなオッサンと毎日飲みにいかなきゃいけないんだ!?」って思っていましたが。

男性に合わせるより女性は新しい社会を築けばいい

——それが日本企業だとすると、女性はまったく入り込めませんね。

安冨:そんなネチャネチャした男同士の“パワハラ×同性愛的関係”のなかに、入りたいですか?

——絶対にいやです……。

安冨:男同士の、性的な香りを残しつつ暴力的な集団を築くことでしか、できないことがあるんですよ。工場の機械を何年も狂ったように正確に動かしつづけるとか、バブルに向かって全力で暴走していくとか。そこに女性が入ってきたら、統御が効かないんですよ。でも、こっちに染まってくれるような女性なら入れてやってもいい、というのが、いま「すべての女性が輝く社会」として進められていることですね。それならいっそ、女性を完全に排除したほうがいいと私は考えています。それで女性は女性で別に会社を作るんです。例えば「Panasonic(男)」「Panasonic(女)」みたいに完全に分社化したほうが、ずっと対等ですよね。社内で差別されることもないですし。

性差別発言が生まれる社会構造の根深さ

——いまはルミネのCMや、鹿児島県知事の発言など、あからさまな差別をするメディアや発言があればすぐに炎上しますが、女性もこうして意思表示するのが大事なのでしょうか?

安冨:表面に出てきたものだけ叩いても、構造自体を変えることはできません。「お騒がせしました」と謝罪して叩かれないようにするだけで、差別がなくなるわけではないですよね。構造の背後にあるのは、男性が“自分じゃないものになっている”ということです。男性に対するプレッシャーは女性と比べるとはるかに強いのですが、そうして負荷を感じるほど自分から乖離します。すると、今度は自分の感覚がわからなくなるので、自分の周りで発生している、より強い力にすり寄るだけになります。これが日本の大半の男性の作動原理です。

そして、力関係そのものが乖離の度合いによって決まります。強い人ほど、出世します。乖離するほど暴力を容赦なくふるえるようになるからです。ただ、以前の社会は露骨な暴力がまかりとおっていたけど、現代社会は隠蔽しながら暴力を振るわないといけません。それをうまくできる男性が、間接的暴力によるパワハラ×同性愛的な集団を統御して、さらに暴力をふるうようになる……つまりは、差別です。

——日本の男女格差は、ジェンダーギャップ指数が世界142カ国中104位(参照:「共同参画」2014年 12月号より)という数字を見ても明らかですが、男性はこれをどう思っているんでしょう?

安冨:なんとも思っていませんよ。私が勤める東京大学は女性教員比率が低いことは本書にも書いたとおりですが、ここ最近は海外からコンサルタントを招いて総長諮問会というのを開いています。彼らコンサルタントは一様にジェンダーバランスの悪さに驚きますが、それを指摘されると今度は総長が驚きます。いままで考えたこともなかったのでしょう。女性の声にはまったく耳を貸さないのに、外国人にいわれると拝聴するんですね。

権力が集中するところほどパワハラ×同性愛的になり、差別が起きます。メディアも、そのひとつ。それだけでなく、非常に巧妙に差別の構造を私たちの意識に埋めこんできます。特にテレビは、構成でそれを見せるんですね。バラエティー番組で司会が男性、アシスタントが女子アナというのが当たり前になりすぎていて、いまや誰も言及しませんよね。でも確実に、見る人に差別意識を刷り込んでいます。

伝統的家族観はとっくに壊れている

——男女差別だけでなく、「性同一性障害」という語に込められた差別意識についても、本書では詳しく解説されています。セクシャリティへの差別については、LGBTは認知されはじめましたが、逆にその4つ以外が見えにくくなっていますね。

安冨:セクシャリティは無限にあるので、それを細かく分類してもしょうがない。それよりも、男は男の格好をして女を好きになり、女は女の格好をして男を好きになるという2モデルしか用意されていないのが、問題になんです。「どこに当てはまらなくてもいい」というのに逆らって、この2モデルだけを維持しようとするから、L、G、B、T、A、X……いっぱい用意しなきゃいけなくなるんです。

そして、そういう人たちを差別して「同性婚を認めることは、日本の伝統的家族観を壊すことだ」という声もあがりますが、これはナンセンス。そんなもの、とっくに壊れています。もし結婚制度が100年前のようにガチッとした装置として機能しているなら、同性婚も認められないかもしれません。でも、時代は変わっています。“結婚”という制度を残すのであれば、そこにグラデーションを持たせることです。ゆるい結婚があれば、現状のようなカチッとした結婚もある。男性同士、女性同士で結婚していいんです。そもそも結婚届に男女欄はいらないですよね。いろんな人間の結びつきを認め、その結びつきをなんらかの法的な形で担保することが、これからは求められます。家族は社会の基礎です。結婚が崩壊して家族が機能しなくなるのなら、機能する家族を新たに作っていけばいいんです。

“自分自身でないもののフリ”をやめるには

——先生はセクシャリティに気づき、“自分自身でないもののフリ”をやめましたが、自分ではないもののまま自分を押し殺して生きているウートピ読者にアドバイスをお願いします。

安冨:私は今年の3月から突然、油絵を描き始めました。子どものころゴッホにあこがれていたけれど、「画家になりたい」といったら親に鼻で笑われそうでずっと封印していました。それも“自分自身でないもののフリ”ですよね。そこから解き放たれたいま、すさまじい勢いで描いていいます。自分のなかの芸術的なもの、創造的なものを発揮させないと、人は生きている意味がないんですよ。男・女という分け方にしても、いろんなセグメントにしても、そうした人間の成長と創造性を阻害するためにあるものです。それを突破してください! 女性のほうがプレッシャーが少ないぶん、突破しやすいのですから。

●安冨歩(やすとみ・あゆむ/あゆみ)
京都大学経済学部卒業。住友銀行に勤務後、京都大学大学院経済学研究科修士課程で修士号取得。京都大学人文科学研究所助手。ロンドン大学政治経済学校(LSE)のサントリー=トヨタ経済学・関係分野研究所(STICARD)の滞在研究員。博士号取得後、名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学大学院総合研究科助教授、情報学環/学際情報学府助教授を経て、東洋文化研究所准教授。2009年より同研究所教授。2013年より女物を着るようになり2014年には完全に女性の装いで生活。著書多数。最新刊は『ありのままの私』(ぴあ)。

三浦ゆえ

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