自己責任論では救えない貧困の子ども

(C)さいきまこ/フォアミセス

仕事があり、家庭もある。毎日忙しいし、裕福とまではいえないけれど、今後もきっと家族そろって変わることなく幸せに暮らしていける……。

さいきまこさんの最新コミック『神様の背中~貧困の中の子どもたち~』(秋田書店)の主人公・仁藤涼子はそう思っていました。職場である小学校で、家庭が貧困状態にある児童、ネグレクトに遭っている児童の存在に気づき、「貧困や虐待は遠い世界の話ではない」と知りながらも、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった主人公が、職を失い、娘を連れて家を出、再就職できず、精神を病み、貧困状態から抜けだせなくなる……そのすべての始まりは、夫のDVでした。

前作『陽のあたる家~生活保護に支えられて~』(秋田書店)に続き、いまの日本に蔓延する貧困とそれを支える制度に光を当てた、漫画家・さいきまこさんにお話をうかがいます。

困窮している人を追い詰める「自己責任」論

――主人公は家族思いで、仕事熱心。何ひとつ間違ったことをしていないのに、彼女と中学生の娘があれよあれよという間に貧困状態に陥っていく……その過程のすべてが誰にでも起こりうることの連続で、たいへんおそろしかったです。

さいきまこさん(以下、さいき):前作『陽のあたる家』を描いたのは2012年、タレントの家族による生活保護不正受給疑惑が取り沙汰されていたころです。でも、実際にその家族は不正を犯していませんし、生活保護についての報道も、多くの利用者の実態とあまりにかけ離れていました。

生活保護というトピックが扱われるときは、こうした偏見が付き物で、さらに自己責任論もそこに覆いかぶさってきます。要は「自分が悪くて貧困に陥ったのだから、国が救う必要はない。税金を使うな」ということですが、ほんとうにそうなの? ということを、一度立ち止まって考えるきっかけとしてもらいたくて、前作を描きはじめました。生活保護を利用している人にかぎらず、困窮している人たちの多くには何かしらの背景があります。本作の主人公の場合はそれがDVでしたが、心身の疾患であったり、連鎖する虐待であったり、人それぞれです。

――夫による肉体的、精神的、経済的な暴力から自分と娘を守るため必死で逃げた主人公も、やはり「自己責任」といわれてしまうものなのですね。

さいき:離婚してシングルマザーとなった女性が困窮すると「あなたのワガママで離婚したんだから」といわれ、いくら相手の男性の非を説明しても「そんな男を選んだあなたが悪い」と返されるのが典型です。本作でも主人公は、元夫と出会った大学時代までさかのぼり、なぜあのサークルに入ったのかと自分を責めますが、周りの誰からも「あなたのせいじゃないよ、何も悪くないよ」といってもらえなかったら、自分の人生を疑い、そこに理由を見出すしかないですよね。

「家族内のことは家族で解決」という風潮

――本作では娘の日向(ひなた)ちゃんや、主人公が受け持っていたクラスの子どもたちなど、貧困家庭で生きる子どもたちが幾人も登場します。親世代の貧困が子どもたちにくり越されていく様子を浮き彫りにされていました。

さいき:最終章に、貧困状態にあるシングルマザー家庭で育つ男子中学生が出てきますが、彼は親戚や教師、近所の人たちから「お母さんが病気なら、あなたがしっかりしなきゃ」「お母さんの面倒をみてあげられるのは身内のきみだけだよ」と幼いころからいわれつづけてきました。似た環境で育った人たちに取材すると、同じような話がイヤといくほど出てきます。みなさん口をそろえて「誰も助けてくれなかった」というんですよね。貧困が次世代に押しつけられている実態がよくわかります。

いまの日本では、貧困でも介護でも、家族に起こったことは家族でなんとかしなさい、ということになっています。だから、せっかく生活保護を申請するところまでたどりついても、窓口で扶養義務者に助けてもらうよういわれて、不当に申請を拒まれたりするのです。家族内、あるいは親類縁者を含む共同体を頼れない、頼ったところでどうにもならないからこその貧困状態なのに……。こうした制度運用もおかしいですが、世間にも「困っているなら家族で解決」という風潮は確実にあります。

貧困の子どもが高等教育を受けづらい現状

――どんな家庭環境に生まれ育とうと、子どもは教育を受けながら健全に育っていくべきなのですが、17歳の以下の子どもにおける貧困率が16.3%※という、非常に高い割合を示すいまの日本では、それすらむずかしくなっていることが本作を読むとよくわかります(参照:平成22年国民生活基礎調査の概況)。特に、学歴をつけて社会に出たくとも「奨学金」で背負う借金が大きすぎるという問題があるのですね。

自己責任論では救えない貧困の子ども

(C)さいきまこ/フォアミセス

さいき:子どもの貧困について語られるとき、世代間ギャップを強く感じることが多々あります。「国公立の大学に行けばいい」「必死で勉強する優秀な学生なら、無利子の奨学金がある」という年配の方の声をよく聞きますが、いま50代ぐらいの人の学生時代とくらべて、国公立大の学費は何倍にもなっていますし、また、日本学生支援機構による無利子の第一種奨学金はたいへんな難関で、8割ほどがふるい落とされる年もあると聞いています。教員になれば返済しなくていいという制度もいまはなくなっています。

だから、お金がない家に生まれた家庭に育った子は、努力に努力を重ねていい成績をおさめなければ貧困から抜け出せない。その努力をちょっとでも怠ったり、努力した結果が実らなかったら、貧困のままで仕方ない……というのも、結局は自己責任論と同じですよね。経済的に余裕のある家の子でないとなるのがむずかしい職業といえば、医師や弁護士がすぐに思い浮かびますが、近年は教員もそのひとつに挙げられるようになりました。1か月の教育実習中アルバイトを休むと生活が立ちゆかなくなる、という理由で、志があるのに教員免許取得をあきらめる学生が多くなっているからです。そうして学校という現場で貧困を知る大人が減っていくことに、私は大きな不安を感じます。

――人生の序盤からけわしい道を上りつづけなければ、貧困が再生産されてしまうのですね。

さいき:けわしい道を誰もが上れるとはかぎりません。もちろん、努力を評価するのは大事です。でも、貧困のなかで精神的に追い詰められた状態が長くつづくと、努力をする気力も体力もむしばまれ、なくなってしまいます。恵まれた環境にいるからこそ、努力もできるんです。これは子どもだけでなく、大人にもいえること。だから、そんな人たちをどう救っていくかを考えることが先決です。人は無差別平等に、健康で文化的な生活を送る権利を持っているのですから。

>>【後編はこちら】貧困に無言で耐える子どもを救うには いま大人たちに求められている想像力と知識

●さいきまこ
漫画家。2000年2月、集英社『YOU』よりデビュー。2013年に生活保護の実態を描いた『陽のあたる家~生活保護に支えられて~』が秋田書店『フォアミセス』に連載され、同作で2014年貧困ジャーナリズム大賞特別賞を受賞。2014年12月~2015年5月、同誌に『神様の背中~貧困の中の子どもたち~』を連載。6人に1人という貧困状態にある子どもたちの姿を描き、読者に衝撃をもたらす。また、同誌2015年8月号では、困窮家庭の子どもたちを支援する20代女性を描いた『花びらを数えて』(『神様の背中』スピンオフ特別読み切り)が掲載。著書は他に『生活保護で生きちゃおう!』(共著:雨宮処凛・和久井みちる、あけび書房)。ツイッター:@SaikiMako

三浦ゆえ

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