「女性」を叩く男性に共感する女性の心理

ネット上で、「女性叩き」に乗っかる女性を見かけることはありませんか? たとえばこんな具合です。

男性が「男女平等社会なんだから、女性を過保護にする必要はない」「現代は女尊男卑社会だ」などと発言。

男性だけでなく、女性の中にも「そうだそうだ。そもそも女性の権利を叫ぶ女性なんて、ただの物分りの悪いフェミニスト」などと発言。

男性から賛辞の嵐!

男性の発言は置いておくにしても、この「男性の女性叩きに乗っかる女性」に違和感を覚えることがあります。「女性の敵は女性」とはよくいいますが、なぜ「女性叩きをする女性」はそういった言動に至ってしまうのか。その理由について考えてみたいと思います。

ただ流れに乗っかってるだけ

「2ちゃんねるなどで見られる有名なコピペで、『車のエンジンがかからないの』というのがありますよね。男女の意識の差を描写したものだけど、割と一方的に女性の『物分かりの悪さ』が強調されてデフォルメされて描かれています。ネット上では、『わかるわかるww』『ほんと女ってこんなだよな』というコメントに混ざって、『私も女だけどこれわかるわw女友達とかこんな感じ』という書き込みも。『この女性、ただ流れに乗っかってるだけなのでは?』と思ってしまった」(東京・25歳女性)

女性叩きにかこつけて、見ようによっては男性に媚びを売っているようにも。

セクハラ・パワハラをいちいち気にしてたらやってられない

「知人はバリバリのキャリアウーマンだけど、話を聞くと会社の内実は旧態依然の日本企業という感じで、セクハラ・パワハラは当たり前。心配して『大変だね』と言うと、『嫌だけど、いちいち気にしてたらやってらんないし、こういうことで騒ぐ後輩には仕事を任せたくない』と返答。自分が気にしないのはいいけれど、後輩にもそれを強いるのって……?」(東京・28歳女性)

セクハラ問題については、男性から「いちいち騒ぎ過ぎじゃないか」という声が出ることも。このバリキャリ系女子の発言が、そうした男性のイメージと重なってしまったようです。

反論が激しすぎて「女性の女性叩きを叩き過ぎる女性」に

昨年6月に東京都議会で起きたセクハラやじ問題。これについて、20代の女性が書いたブログが一部で話題になりました。書かれていたのは「ヤジを飛ばした男性議員もおかしければ、それに過剰反応する女性議員もおかしい」「(女性議員は)同情を集めようとせずに、もっと本来の仕事をしろ!」といった趣旨の持論。

「素晴らしい意見」と支持する人(主に男性)もいましたが、この「女性叩き」に女性からは「いい加減、女性同士の足の引っ張り合いはやめましょう」「傷つくか、無視するかの問題ではない。それ(セクハラ)に慣れてしまう感性がおかしい」という反論も。しかし反論が激しすぎると、「女性の女性叩きを叩き過ぎる女性」に見えてしまい、負のスパイラルに……。

女性同士であっても考え方に違いがある

世の中には、女性の権利について真剣に問題意識を持っている女性もいれば、「自分には関係ない」と思っている女性、「そんなこと考えるのやめちゃえばいいのに」と思っている女性さえいます。問題意識を持っている側の女性からすると、その他の女性に足を引っ張られるようなもどかしさを覚えさせられます。一方、問題意識を持っていない側の女性からすると、問題意識を持っている女性に対して「何をそんなに騒いで」と、非協力的、ないしは批判的な態度を取ることになります。

セクハラひとつ取ってみてもそうです。片方で、「セクハラくらい問題じゃない」と思う女性がいて、もう片方には「セクハラは人権侵害なんだからどうにかしないと」と思う女性がいます。特にネット上ではどちらも一方的な意見の言いっぱなしになることがあります。

なぜ、女性は女性を叩くのか?

なぜ女性叩きをするのか――その理由は、今回ご紹介したエピソードを参考にすれば、いくつかの可能性が考えられます。「男性票の獲得のため」、「保身のために流れに乗って」、あるいは「考えがたまたま男性陣営のものだった」ということもあるでしょう。

“敵”がそのまま“敵”でいるのと、“味方”だと思っていた存在が“敵”だったことが判明するのとでは、後者が一方的にショックです。信頼が踏みにじられた気のする女性陣営の女性は、落胆や怒りを覚えます。ここに「女性叩き」を目撃したときの“イラッ”が生まれる、構造的な原因があるのでしょう。

意識の違いは一人ひとりが持っている経験の違いによって生まれるもの。足並みを揃えるのは不可能にしても、お互いの言っていることに耳を傾け、お互いのこれまでの経験を理解する努力をする……というくらいになれたらいいですね。

(藤井弘美/プレスラボ)

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