第87回アカデミー賞にもノミネートされた、アンジェリーナ・ジョリーの最新監督作で、日本兵の描写を巡って話題となっている映画『アンブロークン』(原題 “Unbroken” )が全米で昨年クリスマスに公開された。

それに先駆け、12月15日ロサンゼルスで行われたプレミアに、病気のため休養中のジョリーに代わって夫のブラッド・ピットが出席した。ピットは13歳の息子マドックス、11歳の息子パックス、8歳の娘シャイロ、3人の子どもたちを伴っていた。ジョリー=ピット家はこれまでもメディアから注目されているが、このときのシャイロの様子が大きな関心を集めている。

シャイロは男の子の格好をしたがっている

『アンブロークン』のプレミアでは、ピットはシャイロにも2人の兄と同じくスーツを着せてレッドカーペットを歩いていた。

ライターのラディカ・サンハニが、英国のメディア『テレグラフ』のウェブサイトで執筆した記事によると、ピットはあるインタビューで、「(シャイロを略して) “シャイ” と呼ぶと “自分はジョンだ” と応じる」と言ったという。

2010年、ジョリーは雑誌『ヴァニティ・フェア』8月号で、「シャイロはスーツが好きで、男の子の格好をしたがっているので髪を切ってあげた」と語っている。

プレミアの様子も含めて、各メディアは「夫妻は子どもをサポートする姿勢だ」と報じている。

この話題を受けて、「ジョンは性同一性障害(トランスセクシュアル (TS) )だ」と報じるネットメディアがいくつかあったが、男性的な名前や服装を求めるからと言って、TSと決めつけるのは早急すぎないだろうか。

子どもは男女双方のジェンダーに惹かれる

サンハニによるインタビューで、子どもの成長過程に詳しい臨床心理学者のリンダ・ブレアは「この時期の子どもは男女双方のジェンダー(社会的・文化的性別)に惹かれ、揺れも多い」とコメントしている。

つまり、ジョンがシャイロという名前を否定し、男性装をしたがるのも成長におけるひとつの変化に過ぎないかもしれず、歳を重ねると「やっぱりシャイロでいい」と両親から与えられた名前を受け入れたり、女性として生きることを望むかもしれない。あるいはこのまま男性的であり続けるかもしれない。または、男女どちらでもない状態やあいだで揺れ動き続ける状態を望むかもしれない。子どもには様々な成長、変化の可能性が存在するのである。

わたし自身もTSで、友人知人にTSの当事者もいるが、わたしのように性器の変更まで望む者ばかりでなく、手術したものの違和感が拭えず、ひどい場合は自殺に至るケースも少なくない。

性別への違和感がどの程度で、何を望んでいるのか? 当事者が考える機会になるカウンセリングが行き届いておらず、生き方のロールモデルや症例が蓄積もうかがえず、当事者個人がひとりで模索しなければならないという日本の現状がこの背景にはあると考えられる。

典型的な男女の枠に収まらない子どもたちへ理解を

日本の戸籍法では、出生から14日以内に届け出の提出が義務づけられているが、その際、性別の判断基準は外性器の形である。

TSの他に、遺伝子、染色体、性腺、内/外性器などが典型に当てはまらず、二次性徴を迎えたとき男女の枠に収まらない成長を見せるインターセックス(IS)というケースもあるが、生後の性別判断において、成長過程で性別違和を訴える可能性は排除されている。

出産前後によく「男の子? 女の子?」という質問があるが、TS、TG(トランスジェンダー)、ISであった場合どうするのだろうか? とわたしは考えてしまう。

そもそも、子どもとは親の想像を越えた成長を見せるものである。ジョンのような、典型的な男女の枠に収まらない子どもたちが差別や不理解の目にさらされて傷つく可能性は避けられてほしい。

親をはじめ周りの大人が騒ぎ立てると子どもは敏感に感じ取り、自分の生き方を恥じたり、抑圧の意識を持つ可能性もある。子どもたちひとりひとりがそれぞれ何を考え、何を望み、どうしたいのか? と尋ねてあげながら、静かに見守る姿勢が求められるのではないだろうか。

参考記事:The Telegraph

鈴木みのり

この記事を読んだ人は答えてね!
人が回答しています