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2015/01/13

社会背景と政策から考える「少子化の歴史」

厚生労働省の「2014年の人口動態統計(推計値)」によると、昨年の1年間に生まれた子供の数が、史上最少の100万1,000人だったそうです。「いよいよ大台割れか? 日本はどうなる?」と話題になりました。政府が少子化対策を始めてから、20年あまり。とりあえず現時点では、国が打ち出した政策のほぼ全てが「失敗」に終わっているのが現状です。それはなぜでしょうか。

    日本の戦後は「少子化の歴史」

戦後のベビーブームが起きた1947年から、日本の「合計特殊出生率」(1人の女性が一生に産むとされる子供の数)は、一貫して、低下し続けてきました(出生数・合計特殊出生率の推移)。1947年には4.54だったのが、1960年には2.0、1975年には1.91と、70年代の時点で、すでに人口を維持するのに必要な「2.08」を割っているのです。それでも、90年代に入るまで、政府は「少子化」という言葉すら使いませんでした。

日本で「少子化問題」が注目されるようになったのは、1989年の合計特殊出生率が、出産は避けたほうが良いといわれる丙午(ひのえうま)の年、1966年を下回り、史上最低となった「1.57ショック」(1990年)がきっかけです。少子化という大きな課題に立ち向かうには、あまりに遅すぎたといえるでしょう。

    焼け石に水? 「1.57ショック」以降の少子化対策

92年の「国民生活白書」では、初めて、「少子社会の到来、その影響と対応」という大テーマが掲げられました。この白書では、少子化の要因として、すでに「晩婚化で出産可能な期間が短くなったこと」「仕事と家庭の両立の難しさ」「教育費の高さ」などが取り上げられており、そんなに早く気づいていたのか!と、驚かされます。まあ、同時に「シングルライフを楽しむ人の増加も出生率低下の背景にあるものと考えられる」なんて書いてあるので、「独身ライフを楽しむ若者」への恨み節も透けて見えますが……。

1994年には、保育の量的拡大や、0~2歳児保育の充実などを定めた「エンゼルプラン」が始まりました。99年には、放課後児童クラブの推進や、育休後の職場復帰を促す仕組みづくり、不妊専門相談センターの整備などが盛り込まれた「新エンゼルプラン」が発足。2003年には「少子化社会対策基本法」ができ、2004年には「少子化社会対策大綱」が閣議決定され、「社会全体で子育てを支援しましょう」という雰囲気が生まれます。

2000年代後半になると、「育児と仕事が両立できないから、子供が産まれないのでは」という視点が登場し、「ワーク・ライフ・バランス憲章」(2007年)が定められます。2008年には「新待機児童ゼロ作戦」が始まり、現在も保育の拡充が進められているところです。

それでも、出生率は改善していません。2013年には1.43と、2年連続で上昇していますが、これは30~40代を迎えた「団塊ジュニア世代」が子供を産んだのが要因で、政府の子育て支援が功を奏したとはっきりいえる状態ではないでしょう。

    婚姻数も過去最低 「結婚しない若者」への対策は?

この20年間の少子化対策は、「保育の拡充」や「育休制度、時短勤務制度の整備」、「不妊治療のサポート」など、「結婚した夫婦への支援」が中心でした。日本の男女の多くは、出産は結婚とセットでイメージしています。

「結婚しない若者の増加が、合計特殊出生率を押し下げている」ことも要因の一つと言えるのですが、シングルマザー支援が手薄なのはもちろんのこと、「若者が結婚しなくなったこと」への対策は、ほぼゼロだったのです。現在は「そもそも結婚したいと思わない」「結婚したくても、相手がいない」という男女も増えており、前出の「2014年の人口動態統計」では、婚姻数も64万9,000組と過去最低を記録しました。

日本の「少子化対策」は、出産の手前の「結婚しない・できない若者たち」の存在に、手こずっています。人には、「産む自由」と「産まない自由」があり、そこに介入するには、「個人の自由」という、あまりに大きな問題が立ちはだかります。ただ、後者の「産まない自由」はともかく、「産む自由」すら、十分に叶えられていないのが現状です。政府は、「2025年に『出生率1.8』を基本目標にする」(ストップ少子化・地方元気戦略)と言っていますが、問題は山積みしているといえるでしょう。

北条かや

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